安芸国本郷 高山城に登る

2016年2月21日発行

安芸国本郷 高山城に登る
<< 国史跡「小早川氏城跡」高山城を探索する >>

高山城主沼田小早川氏は相模国土肥郷(神奈川県湯河原町付近)に起こった土肥実平より始まる。土肥実平、二代遠平父子は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の側近として、源平合戦で活躍し、その勲功の賞として沼田庄を拝領する。沼田庄は源平合戦以前迄は平氏によって蓮華王院(京都三十三間堂)に寄進され同院を荘園領主として平家の家人だった沼田氏が本下司を務めていたが、平家が源平合戦で亡び沼田氏も共に滅亡し、没官領となっていた。四代茂平は建永元年(1206)祖父遠平、父景平より沼田庄地頭職を拝領し、一部郎党を引き連れ移住して、小早川氏の本拠として経営支配が勧められた…


<目次>

  • 高山城跡探訪ルートの選定
  • ルート地図
  • 探訪ルート
  • 国史跡「小早川氏城跡」高山城を探索する
  • 小早川氏略系図
  • 高山城跡略測図
  • 高山城跡の遺構
    • 南山稜上の郭群 (鎌倉期の城跡)
    • A. 塔の岡道沿いの遺構 (鎌倉期の城跡)
    • B. 南山稜上の郭群 (鎌倉期の城跡)
    • C. 北山稜上の郭群 (鎌倉期の城跡)
  • 参考文献
https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/08/IMG.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2017/08/IMG-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー2016年2月21日発行 > 高山城主沼田小早川氏は相模国土肥郷(神奈川県湯河原町付近)に起こった土肥実平より始まる。土肥実平、二代遠平父子は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の側近として、源平合戦で活躍し、その勲功の賞として沼田庄を拝領する。沼田庄は源平合戦以前迄は平氏によって蓮華王院(京都三十三間堂)に寄進され同院を荘園領主として平家の家人だった沼田氏が本下司を務めていたが、平家が源平合戦で亡び沼田氏も共に滅亡し、没官領となっていた。四代茂平は建永元年(1206)祖父遠平、父景平より沼田庄地頭職を拝領し、一部郎党を引き連れ移住して、小早川氏の本拠として経営支配が勧められた… <目次> 高山城跡探訪ルートの選定 ルート地図 探訪ルート 国史跡「小早川氏城跡」高山城を探索する 小早川氏略系図 高山城跡略測図 高山城跡の遺構 南山稜上の郭群 (鎌倉期の城跡) A. 塔の岡道沿いの遺構 (鎌倉期の城跡) B. 南山稜上の郭群 (鎌倉期の城跡) C. 北山稜上の郭群 (鎌倉期の城跡) 参考文献 安芸国本郷 高山城に登る備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い