鴨方のソーメン作り今昔

備陽史探訪:26号」より

種本 実

今夏は特に暑い日が続きますが、冷たいソーメンをすすりながら夏の味を楽しまれている方もいることでしょう。ソーメンといえば藩州、小豆島と共に鴨方町も有名です。鴨方町の「手延べソーメン」の歴史を現地レポートでお届け致します。

吉備地方には奈良時代から「麦切」「切メン」と称するメンを産し帝に献上していたようです。江戸時代末期に水車で製粉してソーメンを作る技術が藩州から伝わり浅口郡北部の農家の副業として定着発達し今日に至っているのですが、この地方は稲の裏作として小麦が栽培されていたこと、湿度が低く晴天が多いなどの条件が整っていたこともあります。鴨方町杉谷では「車谷」の地名があり最盛期は60余りの水車が製粉していました。明治中期に一部機械化されると飛躍的に生産量が増え海外へも出荷される程になりました。

戦後自家製粉から大型製粉会社が製粉した小麦粉が使われると水車も姿を消し今では見ることはできません。取材に訪れた農家でもかつての水車小屋は納屋となり、老夫婦が製粉をした昔は「水車一ヵ所持っとりゃ、田地一町が得」と言われ水車を持っている人の所へ近隣から製粉してもらう人々が小麦を持って来ていたそうです。

商標「松乃雪」で知られる鴨方町のソーメン作りを生産方式で分類してみますと次のように区分されます。

  • 独立経営「しのべし」と呼ばれた藩州出身の職人が親方から小麦粉をもらいそれをソーメンに加工していた。
  • 水車を有する製粉業者(親方)と数戸~十数戸の製メン家(仕延屋)との条件契約による委託加工制。
  • 昭和18年主食の統制強化と共に全面政府の委託加工となる。
  • 昭和26年委託加工が廃止となり原料購入、販売すべて自由生産となる。

現在鴨方町では約80戸の生産者が年間18キロ入りの箱にして8万箱を生産しています。全国では岡山県は415番目の生産高(町役場の話)です。元来冬の副業だったのですが最近では夏にも生産するようになりました。取材に行った日にも1軒だけでしたが庭に白いレースのカーテンのようなソーメンが干されていました。やはり冬の寒風にさらした方がおいしいとのことです。

ソーメン作りは大変多くの製造工程があり、また天候に左右され、メンを長く続かせる為の食塩水の混合など肉体的・精神的苦労の絶えない作業といわれます。しかし夏の食卓にかかせない食物だけに古くから続いた伝統産業を残していただきたいものです。

鴨方のソーメン作り今昔(そうめんの歴史)https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/07/41b6dd78a3e25d11198e33563831a91c.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/07/41b6dd78a3e25d11198e33563831a91c-150x100.jpg管理人近世近代史「備陽史探訪:26号」より 種本 実 今夏は特に暑い日が続きますが、冷たいソーメンをすすりながら夏の味を楽しまれている方もいることでしょう。ソーメンといえば藩州、小豆島と共に鴨方町も有名です。鴨方町の「手延べソーメン」の歴史を現地レポートでお届け致します。 吉備地方には奈良時代から「麦切」「切メン」と称するメンを産し帝に献上していたようです。江戸時代末期に水車で製粉してソーメンを作る技術が藩州から伝わり浅口郡北部の農家の副業として定着発達し今日に至っているのですが、この地方は稲の裏作として小麦が栽培されていたこと、湿度が低く晴天が多いなどの条件が整っていたこともあります。鴨方町杉谷では「車谷」の地名があり最盛期は60余りの水車が製粉していました。明治中期に一部機械化されると飛躍的に生産量が増え海外へも出荷される程になりました。 戦後自家製粉から大型製粉会社が製粉した小麦粉が使われると水車も姿を消し今では見ることはできません。取材に訪れた農家でもかつての水車小屋は納屋となり、老夫婦が製粉をした昔は「水車一ヵ所持っとりゃ、田地一町が得」と言われ水車を持っている人の所へ近隣から製粉してもらう人々が小麦を持って来ていたそうです。 商標「松乃雪」で知られる鴨方町のソーメン作りを生産方式で分類してみますと次のように区分されます。 独立経営「しのべし」と呼ばれた藩州出身の職人が親方から小麦粉をもらいそれをソーメンに加工していた。 水車を有する製粉業者(親方)と数戸~十数戸の製メン家(仕延屋)との条件契約による委託加工制。 昭和18年主食の統制強化と共に全面政府の委託加工となる。 昭和26年委託加工が廃止となり原料購入、販売すべて自由生産となる。 現在鴨方町では約80戸の生産者が年間18キロ入りの箱にして8万箱を生産しています。全国では岡山県は415番目の生産高(町役場の話)です。元来冬の副業だったのですが最近では夏にも生産するようになりました。取材に行った日にも1軒だけでしたが庭に白いレースのカーテンのようなソーメンが干されていました。やはり冬の寒風にさらした方がおいしいとのことです。 ソーメン作りは大変多くの製造工程があり、また天候に左右され、メンを長く続かせる為の食塩水の混合など肉体的・精神的苦労の絶えない作業といわれます。しかし夏の食卓にかかせない食物だけに古くから続いた伝統産業を残していただきたいものです。備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い
備陽史探訪の会近世近代史部会では「近世福山の歴史を学ぶ」と題した定期的な勉強会を行っています。
詳しくは以下のリンクをご覧ください。 近世福山の歴史を学ぶ