「備陽史探訪:72号」より
国見 章子
施主:国分寺
唐尾山八十八箇所は、天保十二年、国分寺を施主とし、下御領の人々が中心となって完成しました。この山には古墳も多数有り、天保十二年よりも古い年号をもつ石仏もあることから、かなり昔から周辺の信仰を集めていたと思われます。下御領、上御領、平野村、川北村、川南むた、下加茂、エノ村、う山等の地名(村名)が見られます。願主の名前もほとんど読めるので、一つ一つの石仏に込められた願いに思いをはせるもの、一興ではないでしょうか。
https://bingo-history.net/archives/13586https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2016/03/545b2c4b4448e67371f4c474311eab66-732x1024.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2016/03/545b2c4b4448e67371f4c474311eab66-150x100.jpg管理人近世近代史「備陽史探訪:72号」より
国見 章子
施主:国分寺
唐尾山八十八箇所は、天保十二年、国分寺を施主とし、下御領の人々が中心となって完成しました。この山には古墳も多数有り、天保十二年よりも古い年号をもつ石仏もあることから、かなり昔から周辺の信仰を集めていたと思われます。下御領、上御領、平野村、川北村、川南むた、下加茂、エノ村、う山等の地名(村名)が見られます。願主の名前もほとんど読めるので、一つ一つの石仏に込められた願いに思いをはせるもの、一興ではないでしょうか。管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会
備陽史探訪の会近世近代史部会では「近世福山の歴史を学ぶ」と題した定期的な勉強会を行っています。
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近世福山の歴史を学ぶ