備北東城紀行
4月バス例会
備北東城紀行―要害桜を愛で、戦国武将宮氏と歌人若山牧水の足跡をたどる旅―
「東城西城鉄どころ、安芸の吉田は色どころ」と言われたように、備後北部の中国山地沿いは古代より蹈鞴製鉄で栄えたところ、古くから幾多の豪族が「鉄」を背景に興亡を繰り返してきました。中でも今回訪ねる東城西城は備後を代表する国人武士宮氏が平安末期から戦国末期まで約400年間勢力を培ってきたところです。今回はこの宮氏興亡の跡をメインに、要害桜と歌人若山牧水の足跡を横糸に、バス例会を組み立ててみました。福山から1時間余の近場ではありますが、そこには驚くような歴史物語と史跡が埋まっています。多数の皆さんの参加をお待ちしています。「案内人」備陽史探訪の会会長 田口義之 記
募集要項
期日 4月17日(日)雨天決行
集合場所・時間 福山駅北口観光バス乗り場午前7時50分集合
※午後5時半福山駅北口着、解散予定。
講師 田口義之会長
参加費 2800円(一般3000円)
募集人員 44名
その他 弁当飲み物持参、歩きやすい服装で
主な見学地
柴橋堂(東城町久代)…備後国久代に流された久代宮氏の始祖宮弾正利吉一行が住民の飛田某の介抱を受けて、流人生活の一歩を印した所と伝える。
久代吉備津神社(同上)…宮氏が崇敬した神社、天正5年宮氏重修の棟札を伝える。
亀山城跡(東城町小奴可)…宮氏の祖奴可入道西寂の居城と伝える。曲輪、土塁がきれいに残っている。
要害桜(同上)…樹齢260年の「エドヒガン」。樹高18メートル、根回り6、5メートルの県下第二の巨木で県の天然記念物に指定されている。 例年4月の中旬から下旬にかけて見所を迎える。
東城「館町」…東城は宮氏以来の城下町。江戸時代の一国一城令で山城部分は廃されたが、広島浅野家の家老東城浅野氏の屋敷が置かれ、備後備中の国境を守り、侍屋敷なども明治初年まで存在した。
五品岳城址…宮氏の居城で、宮氏が五位の位(五品という)を持っていたことから名付けられた。宮高盛が西条に大富城を築いて居城として以後は城代が置かれ、久代方東城と呼ばれたことから「東城西城」の地名が生まれた。宮氏の後、佐波氏、福島氏の家老長尾氏が居城し、元和5年(1619)浅野氏の入国後は廃城となったが城跡は一朝有事に備えて「御立山」として保護され、よく遺構を残している。
二本松峠・若山牧水歌碑…若山牧水の代表作「幾山河」の歌碑は、牧水の終焉の地である静岡県沼津市千本松原の他、数カ所に建立されているが、あらゆる調査結果、この歌は二本松峠の「熊谷屋」で詠われたものであると断定され、昭和39年11月に哲西町に歌碑建立の運びとなった。全国に数ある「幾山河」の歌碑の中で最も重要視されている。歌碑の筆跡は、牧水自身のもので、石碑は島根県広瀬町産の自然石を使用。高さ1、7m、幅1、0mとなっている。
https://bingo-history.net/archives/1329https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/06/IMG_0987_R.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/06/IMG_0987_R-150x100.jpg行事案内バックナンバー4月バス例会 備北東城紀行―要害桜を愛で、戦国武将宮氏と歌人若山牧水の足跡をたどる旅― 「東城西城鉄どころ、安芸の吉田は色どころ」と言われたように、備後北部の中国山地沿いは古代より蹈鞴製鉄で栄えたところ、古くから幾多の豪族が「鉄」を背景に興亡を繰り返してきました。中でも今回訪ねる東城西城は備後を代表する国人武士宮氏が平安末期から戦国末期まで約400年間勢力を培ってきたところです。今回はこの宮氏興亡の跡をメインに、要害桜と歌人若山牧水の足跡を横糸に、バス例会を組み立ててみました。福山から1時間余の近場ではありますが、そこには驚くような歴史物語と史跡が埋まっています。多数の皆さんの参加をお待ちしています。「案内人」備陽史探訪の会会長 田口義之 記 募集要項 期日 4月17日(日)雨天決行 集合場所・時間 福山駅北口観光バス乗り場午前7時50分集合 ※午後5時半福山駅北口着、解散予定。 講師 田口義之会長 参加費 2800円(一般3000円) 募集人員 44名 その他 弁当飲み物持参、歩きやすい服装で 主な見学地 柴橋堂(東城町久代)…備後国久代に流された久代宮氏の始祖宮弾正利吉一行が住民の飛田某の介抱を受けて、流人生活の一歩を印した所と伝える。 久代吉備津神社(同上)…宮氏が崇敬した神社、天正5年宮氏重修の棟札を伝える。 亀山城跡(東城町小奴可)…宮氏の祖奴可入道西寂の居城と伝える。曲輪、土塁がきれいに残っている。 要害桜(同上)…樹齢260年の「エドヒガン」。樹高18メートル、根回り6、5メートルの県下第二の巨木で県の天然記念物に指定されている。 例年4月の中旬から下旬にかけて見所を迎える。 東城「館町」…東城は宮氏以来の城下町。江戸時代の一国一城令で山城部分は廃されたが、広島浅野家の家老東城浅野氏の屋敷が置かれ、備後備中の国境を守り、侍屋敷なども明治初年まで存在した。 五品岳城址…宮氏の居城で、宮氏が五位の位(五品という)を持っていたことから名付けられた。宮高盛が西条に大富城を築いて居城として以後は城代が置かれ、久代方東城と呼ばれたことから「東城西城」の地名が生まれた。宮氏の後、佐波氏、福島氏の家老長尾氏が居城し、元和5年(1619)浅野氏の入国後は廃城となったが城跡は一朝有事に備えて「御立山」として保護され、よく遺構を残している。 二本松峠・若山牧水歌碑…若山牧水の代表作「幾山河」の歌碑は、牧水の終焉の地である静岡県沼津市千本松原の他、数カ所に建立されているが、あらゆる調査結果、この歌は二本松峠の「熊谷屋」で詠われたものであると断定され、昭和39年11月に哲西町に歌碑建立の運びとなった。全国に数ある「幾山河」の歌碑の中で最も重要視されている。歌碑の筆跡は、牧水自身のもので、石碑は島根県広瀬町産の自然石を使用。高さ1、7m、幅1、0mとなっている。管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会