2012年06月01日

福田別所砂留について

備陽史探訪:166号」より

田口 由実

13番か12番の砂留

「福田の史跡探訪の会」が整備を始め、現在は別所町内会の有志が中心となって整備を進めておられる芦田町福田の「別所砂留」。篠原副会長の伝手を頼り、整備中の砂留を昨年の暮に関係者の方に案内して頂いた。一番から十三番の砂留のすばらしさについてご紹介できないのは残念であるが、ぜひ現地を訪れてその目でご覧いただけたらと思う。

(現地調査の様子は→こちら

さて、現地の看板には「一八五六年(安政三年)福山藩普請」と書かれている。

これは、福山城博物館所蔵の三谷家文書(沼隈郡山手村庄屋)の安政三年(一八五六)『御用状願書帳』にある「福田村別所砂留普請に三月四日、山手村石築の綱五郎が派遣された」という記録に因るものだ。

よほどの大事業であったろう砂留築造が一日二日でできるものも思えず、築造年を知る手がかりは何か他にないものかと考えた。

山手村の庄屋の文書にあるなら、他の文書にも何か手がかりはないものか。

というわけで、国頭(くにとう)文書(福田村の庄屋小野新四郎の文書)を解読されたことがあり、私が通っている古文書勉強会の師でもある山名洋通氏に調査をお願いしたところ快く引き受けてくださり、左記に紹介する弘化三年(一八四六)の史料と解読文をご紹介いただいた。(国頭文書199・10・8)

砂留ということばはないが「別所」「十三カ所」「石築」という単語は、別所の砂留一番~十三番を如実に表わしているものと思われる。普請人数は五十名 (延八十五人) 。 石築七名。合計五十七名である。(同文書五月八日から五月十二日までの期間で)

最後になりましたが、山名洋通氏に、改めて深く感謝謝申し上げます。

※国頭氏のご協力で、あらたに天保十一年(一八四〇)の文書も見つかりました。洪水の破損箇所の修復工事の申請の下書き(?)です。各砂留の切口長が記された興味深いものです。次号掲載予定です。

<関連記事>
福田別所砂留(2)

福田別所砂留1

 

福田別所砂留2

論考のpdf版は↓こちら

 
 
福田別所砂留について