2012年02月01日

福山の中世石造物(時代別紹介)

備陽史探訪:164号」より

田口 義之

我々の会は10周年以来、5年目ごとに記念の書籍を発刊してきた。30周年を記念して「福山の遺跡100選」を発刊したことは記憶に新しい。そして、今回、次の35周年の記念出版は「福山の中世石造物(仮称)」と決まり、これから三年をかけて調査、出版を行うこととなった。

中世石造物の調査、出版は大変な難事業である。銘があるとか、美術品として優れているとか、既に文化財に指定されているものは周知され、見学されたことがあるだろう。だが、それ以外の無銘の五輪塔や、不完全な石塔は手付かずのままで、野山や家の背戸に放置されている。

今回の記念事業は、こうした今まで注目されることのなかった埋もれた石造物まで視野に入れ、調査対象としている。こうした無名の石造物は膨大な数に上る。それをすべて会の中の専門家が調査することは到底不可能だ。会員の皆さんのご協力を待つことが大である。

中世の石造物の見方、調査方法などは今後、会員向けの講習会、例会その他で分かりやすくご説明する予定であるが、この機会に今まで明かになっている福山市域の中世石造物を紹介し、その手がかりとしたい。

平安・鎌倉の石塔


明王院にある層塔残欠を最古として、弁天島の文永八年(1271)銘の九重層塔、無名ながら同時期と考えられる芦田町正満寺の層塔、神辺木之上遺跡の層塔残欠がある。また瀬戸町の平木堂には文保元年(1317)銘の五輪塔の地輪が残っている。

南北朝時代の石塔

宝篋印塔の有銘のものが新市の金丸と金江町に残っている。無銘のもので美術品として価値の高いものは赤坂町の人幡神社に残っている(市重文)。不完全なものは各地に見られ、今回の主要な調査対象となるはずだ。

室町時代の石塔

五輪塔、宝篋印塔ともに有力者の墓石として造立されるようになる。一番注目されるのは山野町の大原に残る宝篋印塔群で、宮氏の墓石と考えられている。赤坂イコーカ山、同艮神社境内、今津町の高諸神社境内のものは九輪が欠けるものの室町初期の優品である。

戦国時代の石塔

国人領主が勢力を伸ばしてくると、一族の墓地が形成され五輪塔や宝篋印塔が盛んに造立されるようになる。芦田町や熊野町、松永本郷など有力な国人領主が割拠した地域には特に多い。また、この時期になると、コゴメ石製の五輪塔や一石五輪等などが群在して見られるようになり、国人領主の配下にあった土豪や名主層も造立の主体者となり、その分布を探ることが地域の歴史の解明にもつながっている。

赤坂町早戸の艮神社境内にある宝篋印塔(九輪は後補)

赤坂町早戸の艮神社境内にある宝篋印塔(九輪は後補)