2010年12月01日

掛迫第六号古墳に関する伝聞資料(荒廃前の様子について)

備陽史探訪:157号」より

田口 義之

日々集まってくる書類や小冊子、1ヶ月ほって置くと、部屋中書類だらけになる。これを時々必要なものと捨てるものに分別し、必要なものは段ボール箱に入れて押入れや物置に入れておく。

必要と思っても改めて取り出すことはない。こうして資料は物置に忘れられていく…。と言う事で何年(?)に1回ぐらいの頻度で物置を整理する。今回紹介する資料はそうした時に書類の東から見つけ出したものである。

捨てるには惜しい内容なので、今回紹介する。平成6年から7年にかけて実施した掛迫第六号古墳の測量調査の頃、私に送られて来た、新聞報道を読んだ方からの来信である。

田口義之様ヘ

私は、考古学に興味を持っている五十五歳の男性です。旧山陽道を歩く会には一回参加しました。

今、掛迫古墳を調査中との事を知り、私の小学校(?)又は、中学生だったか良く分かりませんが、この古墳を見た時の事が参考になるかと手紙を書きます。

私は西法成寺から自彊小学校・旧深安中学校に通っていました。学校からの帰り道この掛迫古墳の所を時々帰っていました。その時見た古墳は今のように荒れてはいず、きれいなウスイ板状の石が三基の竪穴の上に平に敷きつめてあり、そのウスイ板が二~三枚はがれた所から古墳の中が見えていました。(図1)

今回お知らせしたかったのは次の事です。

この古墳から西に二〇メートル~五〇メートル(記憶は確かでないのですが)程行った所に先の古墳を大分小さくした様な物で同じ造りの穴があったのを覚えています。

上の様な(図2)ものが三基ぐらいあったと思います。

自分では刀でも埋蔵してあるかと思いました。今これがあるかどうかは解りませんが何か参考になればと思います。話は変わりますが、中学生のころ、法成寺跡かと思われる所で鬼瓦を発掘し、学校へ持って行った所、新聞社から来られ、記事になった事があります。奈良時代の瓦で、中国製との事でした。

以上が全文で、当初は封筒もあったはずだが、今はない。参考になれば幸いである。

掛迫第六号古墳図1

図1

 
掛迫第六号古墳図2

図2