4月14日、鷲尾山城を中心とした木梨杉原氏の足跡を訪ねるバス例会が行われました。
桜舞い散る絶好の山登り日和、45名の方が参加されました。
最初の訪問地は鷲尾山城主の杉原信平が勧請し、弘治元年に杉原民部大夫が再造したと伝わる弊高八幡神社です。
![風雲の鷲尾山城と木梨杉原氏盛衰の跡を訪ねて01](https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/05/254731d1d8beec82d1645d42c2047d90.jpg)
弊高八幡神社拝殿です。
![幣高八幡神社](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
![弊高八幡神社](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20500%20375%22%3E%3C/svg%3E)
幣高八幡で散策する参加者
![幣高八幡で散策する参加者](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20500%20375%22%3E%3C/svg%3E)
弊高八幡神社からバスで移動し鷲尾山城跡の麓に到着しました。杉原氏の菩提寺と伝わる城照庵にて休憩します。
![城照庵](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
城照庵の礎石は古い寺院の礎石が転用されているようです。
![城照庵の礎石](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
城照庵の仏像。
![城照庵の仏像](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20500%20375%22%3E%3C/svg%3E)
堂内には中世のものと思われる木仏が置かれています。
![中世のものと思われる木仏](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
城照庵の裏手には中世の石造物が残されています。これらを急遽参加された中世石造物の権威蔵橋氏に解説して頂きました。
![中世の石造物](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20400%20300%22%3E%3C/svg%3E)
鷲尾山城に登る途中にも中世の石造物があります。ここでも蔵橋氏に解説して頂きます。
![鷲尾山城に登る途中にも中世の石造物](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
峻険な山道をひたすら登り、ようやく鷲尾山城跡に到着。三ノ段跡に石垣が残されています。
![鷲尾山城跡三ノ段跡の石垣](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
井戸跡。ほとんど埋まっています。
![井戸跡](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
標高330m、山頂の本丸跡(主郭)に到着です。
![山頂の本丸跡(主郭)](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
本丸跡には館跡と思われる礎石が残されています。かなり立派な建物だったようです。ここで昼休憩。
![館跡と思われる礎石](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
広々とした山頂本丸でゆっくりと昼食。
![山頂本丸でゆっくりと昼食](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20500%20375%22%3E%3C/svg%3E)
昼休憩中に体力の残っている有志(笑)約10名で洞穴を見学しました。ここにたどり着くには崖の側を下る非常に危険な道を進まなければなりません。なお、この穴はすぐ行き止まりで、石牢に使われていたのかもしれません。
![洞穴](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
鷲尾山城から尾道の千光寺や瀬戸内海の島々まで見渡すことができます。
![鷲尾山城から](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
家ノ城跡も眼下です。尾道自動車道でざっくり削り取られていますが…
![家ノ城跡](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
鷲尾山を降りて隣の山にある曹洞宗摩訶衍寺(まかえんじ)を訪ねます。再び息を切らせながらの山登りです。
![曹洞宗摩訶衍寺](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
摩訶衍寺本堂。ここでご住職に由来等をご説明頂きました。
![摩訶衍寺本堂](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
摩訶衍寺からは松永湾や沼隈半島が見渡せます。
![摩訶衍寺から](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
裏手には五輪塔が祀られています。これにて例会は終了。
![五輪塔](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20800%20600%22%3E%3C/svg%3E)
皆さん笑顔で満足の一日でした了。
![皆さん笑顔で満足の一日でした](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20500%20375%22%3E%3C/svg%3E)
https://bingo-history.net/archives/7895https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/05/745a028708295c31604af15a4faf0b10.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2013/05/745a028708295c31604af15a4faf0b10-150x100.jpg管理人活動報告鷲尾山城4月14日、鷲尾山城を中心とした木梨杉原氏の足跡を訪ねるバス例会が行われました。
桜舞い散る絶好の山登り日和、45名の方が参加されました。 最初の訪問地は鷲尾山城主の杉原信平が勧請し、弘治元年に杉原民部大夫が再造したと伝わる弊高八幡神社です。 弊高八幡神社拝殿です。 幣高八幡で散策する参加者 弊高八幡神社からバスで移動し鷲尾山城跡の麓に到着しました。杉原氏の菩提寺と伝わる城照庵にて休憩します。 城照庵の礎石は古い寺院の礎石が転用されているようです。 城照庵の仏像。 堂内には中世のものと思われる木仏が置かれています。 城照庵の裏手には中世の石造物が残されています。これらを急遽参加された中世石造物の権威蔵橋氏に解説して頂きました。 鷲尾山城に登る途中にも中世の石造物があります。ここでも蔵橋氏に解説して頂きます。 峻険な山道をひたすら登り、ようやく鷲尾山城跡に到着。三ノ段跡に石垣が残されています。 井戸跡。ほとんど埋まっています。 標高330m、山頂の本丸跡(主郭)に到着です。 本丸跡には館跡と思われる礎石が残されています。かなり立派な建物だったようです。ここで昼休憩。 広々とした山頂本丸でゆっくりと昼食。 昼休憩中に体力の残っている有志(笑)約10名で洞穴を見学しました。ここにたどり着くには崖の側を下る非常に危険な道を進まなければなりません。なお、この穴はすぐ行き止まりで、石牢に使われていたのかもしれません。 鷲尾山城から尾道の千光寺や瀬戸内海の島々まで見渡すことができます。 家ノ城跡も眼下です。尾道自動車道でざっくり削り取られていますが… 鷲尾山を降りて隣の山にある曹洞宗摩訶衍寺(まかえんじ)を訪ねます。再び息を切らせながらの山登りです。 摩訶衍寺本堂。ここでご住職に由来等をご説明頂きました。 摩訶衍寺からは松永湾や沼隈半島が見渡せます。 裏手には五輪塔が祀られています。これにて例会は終了。 皆さん笑顔で満足の一日でした了。管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会![備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い](data:image/svg+xml,%3Csvg%20xmlns=%22http://www.w3.org/2000/svg%22%20viewBox=%220%200%20210%20140%22%3E%3C/svg%3E)