2005年3月6日発行
神辺城の歴史
川北と川南の境を形成する紅葉山にあり、村尾城・深津城とも呼ばれる。「陰徳太平記」には神辺道ノ上の城、「西備名区」には楓山城、「福山志料」に紅葉山城とある。標高一二〇メートル、麓からの比高一一〇メートルで神辺平野を一望できる要衝にある。
備後守護となった朝山景連が建武二年守護所を神辺におき、古城山に築城したのが始まりとされる。以後山名氏・杉原氏らが城主として在城。「備後古城記」に「山名近江丈休入道嘉吉三年八月四日城を再築ク」とあり、山名氏の一族で守護代を務めた犬橋満泰により再築されたと思われる…
<目次>
- スケジュール
- 神辺城の歴史
- 天別豊姫神社
- 龍泉寺
- 神辺合戦関係資料一覧(1)
- 神辺合戦関係資料一覧(2)
- 神辺合戦関係資料一覧(3)
- 神辺付近主要城郭図
- 神辺城にどんな建物があったか
- 川南村誌・川北村誌(抜粋)
- 福山城に移転した建物
- 黄葉山城址実測図
- 村上正名著「福山城」にある復元平面図
- 福山城平面図
- 古写真
- 1郭調査概要
- 要害山城跡
- 9郭遺構実測図
https://bingo-history.net/archives/4363https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/07/4a7c5fa294a34fa65fd0e4370a7a4d19.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/07/4a7c5fa294a34fa65fd0e4370a7a4d19-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー神辺城2005年3月6日発行 神辺城の歴史 川北と川南の境を形成する紅葉山にあり、村尾城・深津城とも呼ばれる。「陰徳太平記」には神辺道ノ上の城、「西備名区」には楓山城、「福山志料」に紅葉山城とある。標高一二〇メートル、麓からの比高一一〇メートルで神辺平野を一望できる要衝にある。 備後守護となった朝山景連が建武二年守護所を神辺におき、古城山に築城したのが始まりとされる。以後山名氏・杉原氏らが城主として在城。「備後古城記」に「山名近江丈休入道嘉吉三年八月四日城を再築ク」とあり、山名氏の一族で守護代を務めた犬橋満泰により再築されたと思われる… <目次> スケジュール
神辺城の歴史
天別豊姫神社
龍泉寺
神辺合戦関係資料一覧(1)
神辺合戦関係資料一覧(2)
神辺合戦関係資料一覧(3)
神辺付近主要城郭図
神辺城にどんな建物があったか
川南村誌・川北村誌(抜粋)
福山城に移転した建物
黄葉山城址実測図
村上正名著「福山城」にある復元平面図
福山城平面図
古写真
1郭調査概要
要害山城跡
9郭遺構実測図 早春の神辺城に戦国の面影を訪ねて管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会