10月26日【特別企画】シンポジウム「神辺城の謎に迫る」 開催

福山城をテーマにしたシンポジウム第2回目が開催されました。

築城400年を迎える福山城、多くの謎が残っています。第1回に続き、今回は県内外の城郭研究者を招き、福山城にあったとされる「神辺櫓」が果たして神辺城から移されたものであるかどうか等について講演を行っていただき、質疑応答を通して福山城の前身である神辺城の真の姿に迫ろうというものです。

講演者 会場の様子

講演者は講演順に

田口義之(備陽史探訪の会会長)
山縣元(元広島県教育委員会)
菅波哲郎(神辺宿文化研究会)
佐藤大規(広島大学総合博物館学芸職員)

の四名の先生です。山岡さんの司会で開始し、先ず前半は

田口義之氏の講演 山縣元氏の講演

神辺城の歴史」と題して 田口先生から神辺城の歴史と歴史位置づけについて文字資料や地勢的な面から講演がありました。

神辺城の重要性が増したのは戦国時代になってから。穴の海など守りやすい地勢が重要度を増したのかなど考えさせられます。

次に、実際に神辺城の発掘を担当された山縣先生から「神辺城跡の発掘調査」と題して、発掘の結果、それからわかったことについて講演をいただきました。

それによると少なくとも二時期以上にわたって神辺城が営まれ、備後の中心的な存在として機能したと考えられるとの報告など、実証的な証拠に基づく結果には重みがあります。

菅波哲郎氏の講演 佐藤大規氏の講演

後半は最初に菅波先生から「神辺一番櫓について」と題して講演がありました。福山城には神辺から来たと言われる複数の櫓がありますがそれが信頼に足るものかどうかについて

文字資料や他の城の状況なども交えた報告がありました。通説には根拠のはっきりしないものが多く無批判に信用するのは危険だとの実例を含めた説明には説得力があります。

最後に佐藤先生から「近世初頭の城郭建築」について櫓構造の歴史的な変遷からみた福山城にあった櫓の位置づけ、分類からわかることについて報告がありました。

福山城には望楼型、層塔型の櫓が混在し、統一感がみられないことから移築された櫓(特に望楼型)も多くあるのではないと。もっともな指摘と思われます。

コーディネーター質疑応答

休憩をはさんで第二部は田中さんをコーディネーターとして質疑応答がありました。

質問も活発で

質疑応答の様子1 質疑応答の様子2

質疑応答の様子3  質疑応答の様子4

各先生方も丁寧に説明して頂き、あっという間に時間が来てしまいました。神辺城はまだまだ謎が多いなとの感想でした。

 

篠原副会長の挨拶

最後に篠原副会長の挨拶で余韻を持ちつつお開きとなりました。

研究発表の様子はこちら

「神辺城の歴史」田口義之(備陽史探訪の会会長)

「神辺城跡の発掘調査」山縣元(元広島県教育委員会)

「神辺一番櫓」菅波哲郎(神辺宿文化研究会)

「近世初頭の城郭建築」佐藤大規(広島大学総合博物館学芸職員)

https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2202-1024x683.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2202-150x100.jpgSera活動報告福山城をテーマにしたシンポジウム第2回目が開催されました。 築城400年を迎える福山城、多くの謎が残っています。第1回に続き、今回は県内外の城郭研究者を招き、福山城にあったとされる「神辺櫓」が果たして神辺城から移されたものであるかどうか等について講演を行っていただき、質疑応答を通して福山城の前身である神辺城の真の姿に迫ろうというものです。 講演者は講演順に 田口義之(備陽史探訪の会会長) 山縣元(元広島県教育委員会) 菅波哲郎(神辺宿文化研究会) 佐藤大規(広島大学総合博物館学芸職員) の四名の先生です。山岡さんの司会で開始し、先ず前半は 「神辺城の歴史」と題して 田口先生から神辺城の歴史と歴史位置づけについて文字資料や地勢的な面から講演がありました。 神辺城の重要性が増したのは戦国時代になってから。穴の海など守りやすい地勢が重要度を増したのかなど考えさせられます。 次に、実際に神辺城の発掘を担当された山縣先生から「神辺城跡の発掘調査」と題して、発掘の結果、それからわかったことについて講演をいただきました。 それによると少なくとも二時期以上にわたって神辺城が営まれ、備後の中心的な存在として機能したと考えられるとの報告など、実証的な証拠に基づく結果には重みがあります。 後半は最初に菅波先生から「神辺一番櫓について」と題して講演がありました。福山城には神辺から来たと言われる複数の櫓がありますがそれが信頼に足るものかどうかについて 文字資料や他の城の状況なども交えた報告がありました。通説には根拠のはっきりしないものが多く無批判に信用するのは危険だとの実例を含めた説明には説得力があります。 最後に佐藤先生から「近世初頭の城郭建築」について櫓構造の歴史的な変遷からみた福山城にあった櫓の位置づけ、分類からわかることについて報告がありました。 福山城には望楼型、層塔型の櫓が混在し、統一感がみられないことから移築された櫓(特に望楼型)も多くあるのではないと。もっともな指摘と思われます。 休憩をはさんで第二部は田中さんをコーディネーターとして質疑応答がありました。 質問も活発で   各先生方も丁寧に説明して頂き、あっという間に時間が来てしまいました。神辺城はまだまだ謎が多いなとの感想でした。   最後に篠原副会長の挨拶で余韻を持ちつつお開きとなりました。 研究発表の様子はこちら 「神辺城の歴史」田口義之(備陽史探訪の会会長) 「神辺城跡の発掘調査」山縣元(元広島県教育委員会) 「神辺一番櫓」菅波哲郎(神辺宿文化研究会) 「近世初頭の城郭建築」佐藤大規(広島大学総合博物館学芸職員)備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い