桜花爛漫 安芸宍戸氏興亡の跡を訪ねて(広島県安芸高田市)

2007年4月8日発行

安芸宍戸氏興亡の跡を訪ねて
安芸宍戸氏

平治の乱に敗れた源氏の棟梁・義朝の十男・知家(母は宇都宮宗綱の娘・八田局)は、平氏の追及を逃れるため、母の実家・宇都宮氏のもとで成長し、八田(はつた)を名乗ったが、頼朝挙兵に参陣して御家人となり、厚遇を得、常陸(ひたち)守護として小田(茨城県つくば市)に居を構えた。

その四男・家政が、常陸国宍戸郷(茨城県笠間市)に配され、宍戸氏を名乗ったのが始まりである…


<目次>

  • 五龍城跡
  • 資料② 『国郡志御用二付下調差出帳』上甲立村
  • 資料③ 『国郡志御用二付下調差出帳』下甲立村
  • 資料④ 『国郡志御用二付下調差出帳』高田原村
  • [論考]安芸宍戸氏
  • 位置図
https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/06/IMG_0002.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/06/IMG_0002-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー例会,資料2007年4月8日発行 安芸宍戸氏 平治の乱に敗れた源氏の棟梁・義朝の十男・知家(母は宇都宮宗綱の娘・八田局)は、平氏の追及を逃れるため、母の実家・宇都宮氏のもとで成長し、八田(はつた)を名乗ったが、頼朝挙兵に参陣して御家人となり、厚遇を得、常陸(ひたち)守護として小田(茨城県つくば市)に居を構えた。 その四男・家政が、常陸国宍戸郷(茨城県笠間市)に配され、宍戸氏を名乗ったのが始まりである… <目次> 五龍城跡 資料② 『国郡志御用二付下調差出帳』上甲立村 資料③ 『国郡志御用二付下調差出帳』下甲立村 資料④ 『国郡志御用二付下調差出帳』高田原村 [論考]安芸宍戸氏 位置図 安芸宍戸氏興亡の跡を訪ねて備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い