4月1日【ぶら探訪】津之郷から赤坂を歩く 開催
今までぶら探訪で中津原、郷分、山手、津之郷と中世山陽道をたどってきましたが、今回は中世史部会長の杉本憲宏さんの案内で津之郷から赤坂までたどりました。ここには笠岡西浜(ようすな)陶山氏一族といわれる田辺氏が居城したと伝わる串山城。田辺氏が和光寺を再興したといわれる田辺寺。赤坂イコーカ山の足利義昭の供養塔と伝わる宝篋印塔など歴史がちりばめられています。
https://bingo-history.net/archives/27228https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2023/04/DSCN0485-1024x768.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2023/04/DSCN0485-150x100.jpg活動報告今までぶら探訪で中津原、郷分、山手、津之郷と中世山陽道をたどってきましたが、今回は中世史部会長の杉本憲宏さんの案内で津之郷から赤坂までたどりました。ここには笠岡西浜(ようすな)陶山氏一族といわれる田辺氏が居城したと伝わる串山城。田辺氏が和光寺を再興したといわれる田辺寺。赤坂イコーカ山の足利義昭の供養塔と伝わる宝篋印塔など歴史がちりばめられています。Sera taisera@pluto.dti.ne.jpEditor備陽史探訪の会津之郷公民館に集合して説明を受け、出発です。
田辺寺からは古代寺院和光寺の塔心礎などが発見されています。心礎には大きな穴があり、これが仏舎利の穴なのか、柱穴なのか議論がありましたが、もし仏舎利の穴とすると相当大きな柱であったと思われます。ここは豊臣秀吉が九州下向の時立ち寄り足利義昭と対面した場でもあります。
この田辺寺の裏山には中世五輪塔なども多くあり、歴史を感じます。
串山城に登ると途中、銀山城・串山城そしてそれに挟まれた足利義昭居館跡の位置関係が良くわかる場所がありました。
なぜここに義昭の居館が造られたのか意味が良くわかります。
串山城跡で。田辺氏の居城があった所です。津之郷、当時水運で使われていたであろう大きな湖の跡、福山市街地まで一望できます。疲れを忘れる眺望です。
厳島神社の謎の地蔵堂で説明を聞く参加者。桜が満開です。
赤坂のイコーカ山古墳で。足利義昭の供養塔と伝わる宝篋印塔もあります。それにしてもどこに行っても桜が満開です。
ここで解散となり、花見の会場に移行しました。