2014年02月01日

「郷土料理・うずみ」によせて

備陽史探訪:176号」より

田口 由実

会報174号175号に岡田宏一郎氏が「うずみ」について、寄稿されていた。

特に174号の「うずみ」についての解釈は、非常に興味深かった。「ハレの日」のちょっと贅沢な料理、あるいは、農家のファーストフード。

愁眉が開かれたような思いだった。と共に、会員の中に、こういう考えの方がいるのだと、快哉を叫びたい心持ちであった。

大げさだと思われるかもしれないが、実は「うずみ」なるものについては、以前から何かと縁があり、鬱屈した思いがあった。

二十年程昔のことである。ある商店街活性化事業の一環で、郷土料理を発掘しようとしたことがあり、料理研究家の人が「郷土料理うずみ」なるものを提案した。試食会が開かれ、新聞社の取材も入った。結局、その時は、白いご飯に隠したものでは、地味すぎて商品化は難しいということで、立ち消えになった。とはいえ、旧城下町育ちの私にとって「うずみ」なんてものは、聞いたことも見たこともない代物だったので、郷土料理と言われてもピンとはこなかった。

そうして、長い間「うずみ」については、それこそ記憶の中で、うずもれていたわけであるが、近年、突然の「うずみブーム」である。

ある時、『ふくやま広報』に「うずみ」は福山藩主水野勝成公が出した倹約令から、農民が隠れて食べたものが始まり、というような一文が掲載されていて(正確には覚えていません、ごめんなさい)これに激怒してしまった。その頃、「水野勝成が倹約令を出したせい」という表現がまことしやかに流布されていたが、そんな歴史事実はない!

さっそく市の広報課に電話して、その根拠を問うと、後日、文化課の某氏から電話があった。文化課では、そこらへんの事(つまり、勝成が倹約令を出した歴史的事実はない事)は承知しているが、広報課の先走り表現であったこと、今後は、「江戸時代の倹約令」という表現にする。但し、一般企業の書いている文章については、責任は負えない。だいたい要約すると、そういう事であった。

加えて、「うずみブーム」について、こういう考察も付け加えられた。

水野勝成倹約令説を出したのは、某所の某氏であり、以前からうずみ研究をしており、ある時、村上正名氏に問うたところ、築城の頃はお金も必要だったので、農民にそういう倹約令を出したかもしれないと言われたそうで、ここに水野勝成倹約令説が誕生したようである。

電話での会話だったので、記憶も朧であるが、確かなのは、現在、インターネット上や各種印刷物で、表現されている「水野勝成倹約令」説の根拠は全くないということである。水野勝成が倹約令を出した証拠は一切ないし、そもそも領地支配に躍起になっている頃に、農民を締め付けることなど考えにくいではないか。

そういう事で世間に氾濫する誤った歴史認識に苦々しい思いを抱いており、そのせいで「うずみブーム」について、聊か過敏に反応してしまうわけだが、岡田宏一郎氏の「郷土料理「うずみ」について思うこと」を拝読して、少し「うずみ」についての考えが改まった。

確かに、「うずみ」は、昔から食べられていた地域があったこと。その種類も多種多様であったこと。そして、何より、納得できる岡田氏の「うずみ」についての考察。大変有意義であった。

しかし、「うずみは郷土料理か」という、根源的な問題は解決していない。郷土料理とは「その地域に根付いた産物を使い、その地域独自の調理方法で作られ、地域で広く伝承されている地域固有の料理」ということである。この定義によると、うずみは郷土料理ではない。ある人は「うずみは郷土料理ではなく、ひとつの料理方法にすぎない」と言い切る。

郷土料理を町おこしに利用するのと、町おこしのために郷土料理を捏造するのは雲泥の差であるし、郷土史研究家としては、それを容認することはできないだろう。

しかし、ひとりの市民として、「うずみ」をテーマに町が活性化するのは、微笑ましい思いである。人々の記憶に残っている「うずみ」料理が、新たな脚光を浴びるのは、喜ばしいことだと思う。

否定的ではあるが、肯定もしたい。そんな思いで、「うずみ」についての思いを書くのに、手間取ってしまった。引き続き、会員の皆様のうずみについての体験談や意見・反論・異論・迷論などあれば、お寄せください。