2013年02月01日

藤尾・父尾銀山間歩の位置確認(GPS測定調査)

備陽史探訪:170号」より

田口 由実

昨年十一月十八日「進め!探検隊―父尾銀山を攻略せよ」において、参加者十三名にて、ルートと問歩の位置を確認してきました。

県道400号線を金丸から藤尾ダムヘ向って北上、途中、橋の手前で林道へ(ここより徒歩)。

尾根に向って登って行く途中、左へ入るとすぐに「2穴竪穴」の間歩があります。そこから標高四百メートルにある「千人塚」と呼ばれる「坑道跡」へ行き、位置を確認。再び林道まで引き返して、さらに上を目指します。林道が「野呂往還」へとぶつかる箇所で赤瀧山の方へ藪漕ぎしていき、千人塚の方へ少し下ったところへいくつかの「竪穴」があります。かつて使用されていたものか、陥没したものかは不明。今回測定した各ポイントの座標データは下記の通り。(今回の計測は、田中伸治氏にお願いしました)

ポイント 緯度 経度
2穴竪穴 34.626402 133.286557
千人塚 34.627961 133.289073
竪穴 34.628439 133.290030

(世界測地系10進数)

なお、詳細な地図・写真は探訪の会の公式サイトの活動報告「【報告】11月18日 父尾銀山を攻略せよ!」にて公開されています。

父尾銀山について

藤尾銀山(かなやま)(父尾金山(かなやま))は、いつの頃から採掘され始めたのか不明ですが、鎌倉時代文永三年(一二六六)には鉱山を中心にして、藤尾の山中に十三町余り四五〇〇戸もの家が建ち並び、「草戸千軒、父尾に負けた…」と謳われたほど、繁栄を極めていたと云います。(この頃、盛んに利用されたのが野呂往還で、この尾根筋からそれぞれの集落へと道が通じていたものと考えられます)

室町時代寛正二年(一四六一)、長雨で山が崩れ、落盤事故が起こり、七十四人死亡、坑道には水が溢れ、翌年には、大火事がおこり父尾の町は消失しました。

藩財政のため水野勝成も鉱山開発を意欲的に行ない、寛永二十年に坑道が完成したものの、この銀山の採掘は思ったほど成果があがらず、やがて採掘は中止。その後、戦前まで時々、採掘されていたということです。

七十六町(約八キロ)にも及ぶ間歩がどう広がっているのかを知る者は今はおりません。

(「まぼろしの町父母市と父尾金山について」(松村成美氏)によれば、千人塚は尾根に近い間歩で、標高四百メートルの坑道跡は「新穴」となっています)
千人塚

※金山・銀山の表記について

書物によって、父尾金山、父尾銀山などと書かれていますが、これは「かなやま」と読みます。別に金や銀のみが採掘されたという意味ではなく、「かなやま」=「鉱山」と考えてください。(父尾に限らず備後周辺いたるところにある金山・銀山はそうです)父尾銀山は、金、銀、銅、亜鉛、鉄等が含まれた鉱山であったと考えられています。

なお、進め!探検隊2回目は、十二月八日に、有志にて「神辺・三谷金山(かなやま)跡」を探検してきました。天領になっていたため、詳しい事はよくわかりませんが、「水野記」にその記述が見られます。機会があれば、こちらもご紹介していきたいと思います。今後も有志にて「進め!探検隊」で郷土史の闇(?)を探検してみたいと思います。