2001年3月18日発行
甲奴郡総領町の史跡めぐり資料
田総庄と長井氏
甲奴郡総領町一帯は、中世『田総庄』と称せられた地域である。同庄の荘園領主については明らかでないが、鎌倉時代後期、この地には備後守護の長井氏の一族が地頭として入部し、以後戦国時代末期まで永く在地領主制を展開した。
長井氏は、鎌倉幕府草創の功臣大江広元の後裔にあたり、その次男時広が下野国長井庄(武蔵国長井庄とも言う)を名字の地として『長井氏』を称した。始祖広元が「文士」として幕府の枢機に参画した関係上、その嫡流にあたる長井惣領家も以後鎌倉幕府の減亡に至るまで評定衆または奉行人として文吏系の武士として活躍した…
<目次>
- スケジュール
- 田総長井氏系譜
- 田総長井氏の盛衰
- 田総庄と長井氏
- 長和庄と長井氏
- 日総庄の下地中分
- 宮・杉原氏との抗争
- 守護被官となる
- 『置文』に見る日総氏の支配
- 戦国の動乱と田総長井氏の動向
- 田総氏の備後退去
- 《主な探防地》
- 意加美神社(総領町稲草)
- 龍興寺(総領町稲草)
- 領家八幡神社
- 光明寺(総領町亀谷)
- 《参考史料》
- 川平山城跡略測図
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甲奴郡総領町の史跡めぐり資料 田総庄と長井氏 甲奴郡総領町一帯は、中世『田総庄』と称せられた地域である。同庄の荘園領主については明らかでないが、鎌倉時代後期、この地には備後守護の長井氏の一族が地頭として入部し、以後戦国時代末期まで永く在地領主制を展開した。 長井氏は、鎌倉幕府草創の功臣大江広元の後裔にあたり、その次男時広が下野国長井庄(武蔵国長井庄とも言う)を名字の地として『長井氏』を称した。始祖広元が「文士」として幕府の枢機に参画した関係上、その嫡流にあたる長井惣領家も以後鎌倉幕府の減亡に至るまで評定衆または奉行人として文吏系の武士として活躍した… <目次> スケジュール
田総長井氏系譜
田総長井氏の盛衰 田総庄と長井氏
長和庄と長井氏
日総庄の下地中分
宮・杉原氏との抗争
守護被官となる
『置文』に見る日総氏の支配
戦国の動乱と田総長井氏の動向
田総氏の備後退去 《主な探防地》 意加美神社(総領町稲草)
龍興寺(総領町稲草)
領家八幡神社
光明寺(総領町亀谷) 《参考史料》 長井氏由来(竜興寺什具)
田総孫右衛門書状写 川平山城跡略測図 田総長井氏の興亡の跡管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会