1997年12月7日発行
内首藤氏と地毘庄
山内首藤氏は、相模国鎌倉郡由内荘神(奈川県鎌倉市の北部、および大船市の一部)を本貫地とする武士です。源頼朝の挙兵に際して、山内経俊が平家方に味方したために山内庄を取り上げられています。しかし、経俊の母が頼朝の乳母であったために許されて、母の私領であった早川庄一得名の領有を許されています。その後、経俊とその子息重俊が幕府方として活躍したため、陸奥・信濃・摂津などの地頭職と伊勢守護職を与えられました…
<目次>
- 山内首藤氏と高郷
- 山内首藤氏系図
- 山内首藤氏に関する所領給付・安堵文書
- 地毘庄・高郷・恵蘇郡西城
- 雲井城跡
- 雲井城関連遺跡分布図
- 篠津原館跡群
- 福山城跡
- 地毗庄
- 新敷庄
- 泉田庄
- 永江庄
https://bingo-history.net/archives/8554https://bingo-history.net/wp-content/uploads/1997/12/c954c043660f2ec5212941d807a4a32c.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/1997/12/c954c043660f2ec5212941d807a4a32c-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー雲井城1997年12月7日発行 内首藤氏と地毘庄 山内首藤氏は、相模国鎌倉郡由内荘神(奈川県鎌倉市の北部、および大船市の一部)を本貫地とする武士です。源頼朝の挙兵に際して、山内経俊が平家方に味方したために山内庄を取り上げられています。しかし、経俊の母が頼朝の乳母であったために許されて、母の私領であった早川庄一得名の領有を許されています。その後、経俊とその子息重俊が幕府方として活躍したため、陸奥・信濃・摂津などの地頭職と伊勢守護職を与えられました… <目次> 山内首藤氏と高郷
山内首藤氏系図
山内首藤氏に関する所領給付・安堵文書
地毘庄・高郷・恵蘇郡西城
雲井城跡
雲井城関連遺跡分布図
篠津原館跡群
福山城跡
地毗庄
新敷庄
泉田庄
永江庄 雲井城登山例会管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会