2010年5月16日発行
■下蒲刈島・・・・
平成15(2003)年4月に呉市に合併した。周囲16Kmの島で江戸時代に、本陣、番所、茶屋の3点セットを備えた「海駅」に指定された。慶長12年(1607)から文化8年(1811)の間に12回におよび朝鮮通信使が来ており、その時は朝鮮通信使からの船6隻に対馬藩の船が40隻随行し、12回目を除き下蒲刈島の二之瀬に船を寄せ一泊した。また、西国大名達の往来でも賑わった港まちである。下蒲刈島は、海上往来の激しいこの地は、潮の流れの複雑なことでも有名であり、昔の船の関係者はその激しさの順に山口下関を「一之関」、上関を「二之関」下蒲刈町三之瀬を「三之関」と呼んだ…
<目次>
- 本日の日程
- 下蒲刈島
- 朝鮮通信使
- 白雪棲(はくせつろう)
- 福島雁木
- 武家屋敷
- 大崎下島
- 御手洗
- 御手洗の歴史
- 御手洗天満宮
- 金子邸
- 松浦時計店
- 乙女座
- 七卿落遺跡
- 鞆田邸
- 船宿
- 千砂子波止(ちさごはと)
- 住吉神社(広島県重要文化財)
- 星野文平の碑
- 南朝山 満舟寺
- 誰彼塚(たそがれつか)
- 亀趺墓(きぶばか)
- 栗田樗堂(くりたちょうどう)の墓
- おいらん公園
- 旧柴屋住宅
- 資料1 江戸時代の埋立
- 資料2 施設の分布
- 資料3 建築年代区分
- 資料4 御手洗町の他国商事の概況
- 参勤交代で三ノ瀬寄港の大名持船
https://bingo-history.net/archives/4400https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/07/ed6deef49e832b7d5bc1d6d182733d37.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/07/ed6deef49e832b7d5bc1d6d182733d37-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー例会2010年5月16日発行 ■下蒲刈島・・・・ 平成15(2003)年4月に呉市に合併した。周囲16Kmの島で江戸時代に、本陣、番所、茶屋の3点セットを備えた「海駅」に指定された。慶長12年(1607)から文化8年(1811)の間に12回におよび朝鮮通信使が来ており、その時は朝鮮通信使からの船6隻に対馬藩の船が40隻随行し、12回目を除き下蒲刈島の二之瀬に船を寄せ一泊した。また、西国大名達の往来でも賑わった港まちである。下蒲刈島は、海上往来の激しいこの地は、潮の流れの複雑なことでも有名であり、昔の船の関係者はその激しさの順に山口下関を「一之関」、上関を「二之関」下蒲刈町三之瀬を「三之関」と呼んだ… <目次> 本日の日程
下蒲刈島
朝鮮通信使
白雪棲(はくせつろう)
福島雁木
武家屋敷
大崎下島
御手洗
御手洗の歴史
御手洗天満宮
金子邸
松浦時計店
乙女座
七卿落遺跡
鞆田邸
船宿
千砂子波止(ちさごはと)
住吉神社(広島県重要文化財)
星野文平の碑
南朝山 満舟寺
誰彼塚(たそがれつか)
亀趺墓(きぶばか)
栗田樗堂(くりたちょうどう)の墓
おいらん公園
旧柴屋住宅
資料1 江戸時代の埋立
資料2 施設の分布
資料3 建築年代区分
資料4 御手洗町の他国商事の概況
参勤交代で三ノ瀬寄港の大名持船 下蒲刈島と大崎下島を訪ねる管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会