10月19日【ぶら探訪】藤江に山路氏の跡をたどる 開催
松永湾南東部の藤江村で代々庄屋を務めた山路家は、近世莫大な財産を築き、その私財を投じて行った多くの公共事業で知られると共に、江戸時代末の山路機谷は菅茶山を始め多くの著名人と文化交流の跡を残した。今も残るその跡をたどりました。
https://bingo-history.net/archives/30345https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2025/10/DSCN1580-1024x768.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2025/10/DSCN1580-150x100.jpg活動報告松永湾南東部の藤江村で代々庄屋を務めた山路家は、近世莫大な財産を築き、その私財を投じて行った多くの公共事業で知られると共に、江戸時代末の山路機谷は菅茶山を始め多くの著名人と文化交流の跡を残した。今も残るその跡をたどりました。Sera taisera@pluto.dti.ne.jpEditor備陽史探訪の会

気温もようやく下がり始め、やっと秋のぶら探訪開始です。
朝降っていた雨も上がり、藤江交流館に集合して出発。
今回の主題である山路家の御子孫の方も多く参加されています。

今日の案内役は、備陽史探訪の会 近世近代史部会の河本部会長です。
藤江小学校跡地である交流館グラウンドで。藤江を俯瞰しながら中心地であったこの辺りを説明。

山路家により建立されの庇護を受けた阿弥陀寺で。阿弥陀三尊(山路家の稔侍佛、永和3年)、十一面観音他が残る。
聞戒和尚墓碑を調べる参加者。

山路家により整備された藤江港は今も船で一杯。現在も恩恵を受けています。

岡本山路家跡に残る石垣。目地もきっちり合うように造られ非常に立派なものです。

山路之保の徳を慕って建立された之保神社。太田神社の横に鎮座しています。

太田神社には樹齢500年と言われる楠木も。圧倒されます。

山路家の墓所で。

中心に機谷夫婦の墓石、他百基ほどの墓石群が丘の上にあります。大名の墓所の様な趣があります。
今日は雨上がりのすがすがしい中でのぶら探訪となりました。福山でもあまり知られていない場所ですが、往時の繁栄を垣間見ることが出来ました。