1998年4月19日発行
宇喜多氏
室町戦国期の備前の土豪武士。戦国大名。先祖は児島高徳の子長秀というが、確証がない。長秀の子宗家(文明年間)、孫久家(延徳年間)の事跡は不明だが、実在したことは『西大寺文書』」確認できる。久家の子という能家は備前守護代浦上家の殊勲の宿老で、浦上則宗、村宗を補佐。後に邑久郡砥石城に引退したが、1534年(天文3)島村豊後守の夜討ちにあって自害。宇喜多能家像(岡山県指定文化財)は、もと菩提寺の紅岸寺にあった(現岡川県立博物館蔵)。
嫡子興家は備後鞆津に挑れたが、備前松岡の豪商阿部定善のもとに身を寄せ、その娘を妾とし春家、忠家をもうけ、1536年(天文5)没。
興家の嫡子直家は邑久郡笠加村の尼寺の伯母のもとで育ったが、後に浦上宗景に仕え、1514年(天文13)自立、乙子城主となる。その後浦上家の宿老達を討って沼城主となり、権勢は主家を凌駕し、宗景と不和となる…
<目次>
- 《見学スケジュール》
- 《注意》
- 西大寺観音院
- 《参考》会陽 (裸まつり)
- 《参考》修正会
- 《参考》西大寺文書
- 西大寺観音院銅鐘
- 《参考》西大寺金陵山古本縁起
- 乙子城(おとごじょう)
- 《参考》沼城(亀山城)
- 邑久郡乙子城古圖
- 上道郡亀山(沼ノ)城古圖
- 砥石城(といし)
- 《参考》宇喜多氏
- 《参考》宇喜多直家
- 《参考》宇喜多能家
- 《参考》島村豊後守
- 《参考》浦上氏
- 《参考》浦上宗景
- 《参考》三村家親
- 《参考》竜の口合戦
- 《参考》大賀島寺
- 余慶寺(よけいじ)
- 余慶寺本堂
- 《参考》余慶寺十一面観音立像(りゅうぞう)
- 《参考》余慶寺聖観音立像(りゅうぞう)
- 《参考》余慶寺薬師如来坐像
- 余慶寺の梵鐘
- 静円寺(じょうえんじ)
- 静円寺多宝塔
- 静円寺本堂
- 本蓮寺
- 本蓮寺中門
- 本蓮寺番神堂
- 本蓮寺本堂
- 《参考》本蓮寺文書
- 《参考》石原氏
- 安仁(あに)神社
- 三重塔各部名称
https://bingo-history.net/archives/4016https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/06/8934c2b2a3ce9ac0ebd5184063a3394f.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2012/06/8934c2b2a3ce9ac0ebd5184063a3394f-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー備前1998年4月19日発行 宇喜多氏 室町戦国期の備前の土豪武士。戦国大名。先祖は児島高徳の子長秀というが、確証がない。長秀の子宗家(文明年間)、孫久家(延徳年間)の事跡は不明だが、実在したことは『西大寺文書』」確認できる。久家の子という能家は備前守護代浦上家の殊勲の宿老で、浦上則宗、村宗を補佐。後に邑久郡砥石城に引退したが、1534年(天文3)島村豊後守の夜討ちにあって自害。宇喜多能家像(岡山県指定文化財)は、もと菩提寺の紅岸寺にあった(現岡川県立博物館蔵)。 嫡子興家は備後鞆津に挑れたが、備前松岡の豪商阿部定善のもとに身を寄せ、その娘を妾とし春家、忠家をもうけ、1536年(天文5)没。 興家の嫡子直家は邑久郡笠加村の尼寺の伯母のもとで育ったが、後に浦上宗景に仕え、1514年(天文13)自立、乙子城主となる。その後浦上家の宿老達を討って沼城主となり、権勢は主家を凌駕し、宗景と不和となる… <目次> 《見学スケジュール》
《注意》
西大寺観音院
《参考》会陽 (裸まつり)
《参考》修正会
《参考》西大寺文書
西大寺観音院銅鐘
《参考》西大寺金陵山古本縁起
乙子城(おとごじょう)
《参考》沼城(亀山城)
邑久郡乙子城古圖
上道郡亀山(沼ノ)城古圖
砥石城(といし)
《参考》宇喜多氏
《参考》宇喜多直家
《参考》宇喜多能家
《参考》島村豊後守
《参考》浦上氏
《参考》浦上宗景
《参考》三村家親
《参考》竜の口合戦
《参考》大賀島寺
余慶寺(よけいじ)
余慶寺本堂
《参考》余慶寺十一面観音立像(りゅうぞう)
《参考》余慶寺聖観音立像(りゅうぞう)
《参考》余慶寺薬師如来坐像
余慶寺の梵鐘
静円寺(じょうえんじ)
静円寺多宝塔
静円寺本堂
本蓮寺
本蓮寺中門
本蓮寺番神堂
本蓮寺本堂
《参考》本蓮寺文書
《参考》石原氏
安仁(あに)神社
三重塔各部名称 西大寺・牛窓の史跡めぐり管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会