1月25日【歴史講演会】天平8年の遣新羅使船は大飛島に寄ったか 開催
万葉集第15巻には天平8年(736年)に派遣された遣新羅使が、航路上各地で詠った歌の一首「月読みの 光を清み 神島の 磯廻の浦ゆ 船出す我は」の「神島」をめぐっては、江戸時代から、福山市神島(かしま)説と笠岡市神島(こうのしま)説の二説があり、いまだ決着がついていない。そういった中で昭和37年に笠岡市大飛島で、航海の安全を祈ったと考えられる祭祀跡が発見され、「神島は大飛島ではないか」という意見が出てくるようになった。
今回は本会会員で医師でもある檀浦生日先生に、この時の航路や潮の流れ、月や太陽の動きなどから、遣新羅使船が大飛島に立ち寄ったであろうこと、即ち神島は大飛島であることを講演して頂きました。
https://bingo-history.net/archives/29499https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2025/01/PXL_20250125_043846356-1024x576.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2025/01/PXL_20250125_043846356-150x100.jpg活動報告万葉集第15巻には天平8年(736年)に派遣された遣新羅使が、航路上各地で詠った歌の一首「月読みの 光を清み 神島の 磯廻の浦ゆ 船出す我は」の「神島」をめぐっては、江戸時代から、福山市神島(かしま)説と笠岡市神島(こうのしま)説の二説があり、いまだ決着がついていない。そういった中で昭和37年に笠岡市大飛島で、航海の安全を祈ったと考えられる祭祀跡が発見され、「神島は大飛島ではないか」という意見が出てくるようになった。 今回は本会会員で医師でもある檀浦生日先生に、この時の航路や潮の流れ、月や太陽の動きなどから、遣新羅使船が大飛島に立ち寄ったであろうこと、即ち神島は大飛島であることを講演して頂きました。Sera taisera@pluto.dti.ne.jpEditor備陽史探訪の会興味のあるテーマの講演のため、多くの人が聴講に来られていました。田口会長の挨拶があり
公演が始まりましたが、多くの文献や説の分析等深い検討を通した話に引き込まれて行きます。
万葉集の歌からその背後の歴史が見えてくるのも興味深く
実際の船での実証など今までなかった観点からの話は非常に参考になりました。