尾ノ上古墳の破壊(質問状と回答書)
「備陽史探訪:91号」より
田口 義之
この夏、貴重な古墳が我々の前から姿を消した。加茂町粟根の『尾ノ上古墳』である。同古墳の存在が明らかと成ったのは六月十九日付中国新聞紙上においてであった。同紙の報道によれば全長約七〇mの前方後円墳が土採り工事でほぼ半壊し、緊急調査によって銅鏡・埴輪などが出土したという。早速同古墳を訪ねてみると、報道通り古墳は無残な姿をさらし、何をそんなに急ぐのか、雨中でブルドーザーがうなりをあげている。
記憶をたどると、最近開発工事等で破壊された古墳や遺跡は芦田町の茶臼山遺跡を始め一・二を下らない。
なぜ、こんな事態となったのか。
我々の採るべき手段はなかったのか。
自責の念にかられた我々は役員会で討議の上、七月九日、市教委に対して次の三か条にわたる質問状を提出した。
①当該古墳の発見・破壊に至った経過
②行政当局者が当該古墳を破壊することを止む得ないとした理由
③当該古墳発掘結果の公表時期、及びその方法
この質問状に対して、行政の側でも真摯な対応をして頂き、左の回答を得た。なお、文化財の保護に関しては、行政の努力だけではなく、市民の協力が不可欠である。今後、当会でも文化財保護行政に関しては全面的に協力する決意であることを付記しておく。
https://bingo-history.net/archives/13115https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2016/04/3dd12eea04000b710386ed516ea3bba8.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2016/04/3dd12eea04000b710386ed516ea3bba8-150x100.jpg古代史「備陽史探訪:91号」より 田口 義之 この夏、貴重な古墳が我々の前から姿を消した。加茂町粟根の『尾ノ上古墳』である。同古墳の存在が明らかと成ったのは六月十九日付中国新聞紙上においてであった。同紙の報道によれば全長約七〇mの前方後円墳が土採り工事でほぼ半壊し、緊急調査によって銅鏡・埴輪などが出土したという。早速同古墳を訪ねてみると、報道通り古墳は無残な姿をさらし、何をそんなに急ぐのか、雨中でブルドーザーがうなりをあげている。 記憶をたどると、最近開発工事等で破壊された古墳や遺跡は芦田町の茶臼山遺跡を始め一・二を下らない。 なぜ、こんな事態となったのか。 我々の採るべき手段はなかったのか。 自責の念にかられた我々は役員会で討議の上、七月九日、市教委に対して次の三か条にわたる質問状を提出した。 ①当該古墳の発見・破壊に至った経過 ②行政当局者が当該古墳を破壊することを止む得ないとした理由 ③当該古墳発掘結果の公表時期、及びその方法 この質問状に対して、行政の側でも真摯な対応をして頂き、左の回答を得た。なお、文化財の保護に関しては、行政の努力だけではなく、市民の協力が不可欠である。今後、当会でも文化財保護行政に関しては全面的に協力する決意であることを付記しておく。 福教文第233号1999年8月20日 備陽史探訪の会会長田口義之様 福山市教育委員会 (社会教育部文化課) 平素から、郷土史の研究や文化財保護思想の普及啓発にご尽力されておられますことに対し、敬意を表します。1999年7月9日付けで、「福山市加茂町粟根所在の前方後円墳に関する質問状」を受理しました。以下、ご質問の項目に沿って回答します。 記 「1。当該古墳の発見・破壊に至った経過」について この古墳は、「周知の遺跡」とはなっていなかったものの、1995年に福山市教育委員会が近隣地域で発掘調査を実施した際、”円墳”が存在する可能性があるとの推測はしていました。昨年の夏、文化課職員が当該地における真砂土採集を目撃したため、直ちに事業者と協議し、「文化財等の有無及びその取り扱いについて」の協議書提出による試掘調査の実施について理解を求めました。」これに対して事業者は、「古墳があることは聞いたことがないし、これは隣接民家への土砂流出被害防止のため、早急に実施しなければならない工事である」等の理由を述べ、理解を得るに至りませんでした。 その後、1999年3月に、事業者から福山市教育委員会へ協議書が提出されましたが、その時点では、後日確認した前方部の2/3がすでに掘削されており、しかも、掘削部分はほぼ垂直な状態となっていました。 協議書に基づいて試掘調査を実施した結果、古墳であることを確認したため、現状保存できない場合は発掘調査が必要であると事業者に回答しました。しかし、条件面で理解が得られず、繰り返し事業者と協議を重ね、5月28日から6月15日の限られた期間の中で緊急調査を実施することになりました。その調査によって、墳丘斜面に葺石を葺き、周囲に埴輪を回らせた4世紀代の前方後円墳であることが確認されました。 調査は、崩落防止のビニールンートを覆っての危険な状態のなかで実施し、調査が終了した翌日から、事業者によって安定勾配を形成するための工事が再開されました。 「2.行政当局者が当該古墳を破壊することを止むを得ないとした理由」について 前述のように、調査開始前に、すでに前方後円墳の前方部2/3は掘削されており、残された墳丘西側部分は垂直な壁面状態どなっていました。その壁面が梅雨に入ると崩落し、近隣の民家へ危険が及ぶことが予測されたため、古墳を保存できる状態になく、やむなく記録保存のための緊急調査を実施しました。 「3.当該古墳発掘調査結果の公表時期、及びその方法」について これまで、通常の場合は、発掘調査で明らかになった事実について、適切な時期に現地説明会を開催し、調査結を公表してきました。しかし、今回の場合は、現地が非常に危険であり、しかも、短期間の緊急調査だったため、現地説明会の開催は断念せざるを得ませんでした。現在、発掘調査結果の整理を進めており、今後、整理ができた時点での公表も考えていますが、最終的には、発掘調査報告書により公表する予定にしています。管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会福教文第233号1999年8月20日
備陽史探訪の会会長田口義之様
福山市教育委員会
(社会教育部文化課)
平素から、郷土史の研究や文化財保護思想の普及啓発にご尽力されておられますことに対し、敬意を表します。1999年7月9日付けで、「福山市加茂町粟根所在の前方後円墳に関する質問状」を受理しました。以下、ご質問の項目に沿って回答します。
記
「1。当該古墳の発見・破壊に至った経過」について
この古墳は、「周知の遺跡」とはなっていなかったものの、1995年に福山市教育委員会が近隣地域で発掘調査を実施した際、”円墳”が存在する可能性があるとの推測はしていました。昨年の夏、文化課職員が当該地における真砂土採集を目撃したため、直ちに事業者と協議し、「文化財等の有無及びその取り扱いについて」の協議書提出による試掘調査の実施について理解を求めました。」これに対して事業者は、「古墳があることは聞いたことがないし、これは隣接民家への土砂流出被害防止のため、早急に実施しなければならない工事である」等の理由を述べ、理解を得るに至りませんでした。
その後、1999年3月に、事業者から福山市教育委員会へ協議書が提出されましたが、その時点では、後日確認した前方部の2/3がすでに掘削されており、しかも、掘削部分はほぼ垂直な状態となっていました。
協議書に基づいて試掘調査を実施した結果、古墳であることを確認したため、現状保存できない場合は発掘調査が必要であると事業者に回答しました。しかし、条件面で理解が得られず、繰り返し事業者と協議を重ね、5月28日から6月15日の限られた期間の中で緊急調査を実施することになりました。その調査によって、墳丘斜面に葺石を葺き、周囲に埴輪を回らせた4世紀代の前方後円墳であることが確認されました。
調査は、崩落防止のビニールンートを覆っての危険な状態のなかで実施し、調査が終了した翌日から、事業者によって安定勾配を形成するための工事が再開されました。
「2.行政当局者が当該古墳を破壊することを止むを得ないとした理由」について
前述のように、調査開始前に、すでに前方後円墳の前方部2/3は掘削されており、残された墳丘西側部分は垂直な壁面状態どなっていました。その壁面が梅雨に入ると崩落し、近隣の民家へ危険が及ぶことが予測されたため、古墳を保存できる状態になく、やむなく記録保存のための緊急調査を実施しました。
「3.当該古墳発掘調査結果の公表時期、及びその方法」について
これまで、通常の場合は、発掘調査で明らかになった事実について、適切な時期に現地説明会を開催し、調査結を公表してきました。しかし、今回の場合は、現地が非常に危険であり、しかも、短期間の緊急調査だったため、現地説明会の開催は断念せざるを得ませんでした。現在、発掘調査結果の整理を進めており、今後、整理ができた時点での公表も考えていますが、最終的には、発掘調査報告書により公表する予定にしています。
備陽史探訪の会古代史部会では「大人の博物館教室」と題して定期的に勉強会を行っています。
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