1998年04月11日

千田・蔵王地区の磐座信仰について(福山市)

備陽史探訪:82号」より

出内 博都

蔵王天神社

千田・蔵王の平地の北を限る加賀圭山山系の支峰、標高一七〇メートルの天神山の麓に蔵王天神社がある。天神社にしては珍しく祭神が須佐之男命である。この天神社はもともと天神山の中腹の巨岩の上に祀ってあったものを、宝永年間、何かのことで流血事件があり、それを機に山麓に移したと伝えられている。

元の社殿のあった場所は、比高約四〇メートルの中腹に巨岩が数個群がった岩場で、その様は実に壮観である。まさにここは天神即ち天の神(アマツカミ)を祀るという磐座(いわくら)信仰の場所にほかならない。

磐座信仰とは、古代における石神信仰の一つである。神社発生以前には、神を随時、石や樹木に招き降ろして祀ったので、この石が神の座として固定すると、石そのものが神聖視され、御神体になる場合が多い。本来「いわ」には堅牢という意味もあり、盤石(ばんじゃく)の座で神のまします所と考えられた。また、岩井などのように、岩のあるところから水が湧く場合もあるので、この面からも石を神聖視する信仰が生じたといえよう。

磐座信仰が遺物などによって明確に検証できるのは古墳時代からである。たとえば、有名な三輪山山麓の山の神遺跡では、自然石の周囲から多数の石製・土製の模造祭器が出土しているが、このような遺跡は全国各地にかなりある。多くの場合、これらの石や岩には各種の伝説や信仰が残されている。中世以前は腰掛石、櫃石(ひつぎいし)、御座石、影向石(ようごういし)、姥石などと呼ばれることもある。

天神・天の神という場合、原初的には人間生活の基本に関わる生産、雨、風、雷などの自然神を意味したと思えるが、神道体系が整備されるにつれて、天神は高天原系の神(アマツカミ)という概念が加わり、この神社の場合、自然神名がいつのまにか須佐之男命というアマツカミに具体化されたものであろう。

自然神が現象ごとに具体名ができていくなかで、天神信仰は雷神信仰へと変化し、道真の怨霊がしばしば雷火の厄となったため、天神(雷神)といえば道真を指すようになった。しかし、より古い原初的な天神社には自然神やアマツカミを祀ったものがかなりある。

天神山の岩を地元の人はさまざまに呼んでいる。千田の方では「みょうと岩」と呼ばれている。確かに角張って屹立(きつりつ)した岩と、平たくて丸みをもった石の組み合わせはこの名にふさわしいといえよう。また、他の人は屹立した岩を「烏帽子(えぼし)岩」、平たい方を「鏡岩」といい、さらに両者相対して霊気を発すという、穿(うが)ったいい方をする人もある。

いずれにしても千田・蔵王のどこからでも見えるこの二つの岩は正しく磐座そのものである。直下の平場に祭祀跡らしき石組も見られるが、土砂に埋まってよく分からない。以前ここから土器片や刀の断片が出たという伝承もある。また、神の依代(よりしろ)としての磐座への道には、神聖な道として、登る途中の各所にお大師堂やお地蔵さんが祀られてもいる。

なお、この岩から南へ〇・六キロ、蔵王山頂を見通した線が千田と蔵王の境界線になっている。このように蔵王山とこの岩は地域に根を下ろした大きな存在であった。

この磐座から西へ二・五キロ行った横尾集落の峠山の頂上に「岩大明神」という社がある。かつてここにも磐座があったが、盈進学園の校地造成のため、岩そのものは失われてしまった。蔵王天神・岩明神両社の関係を示すものとして、春秋の彼岸の中日に太陽が二つの岩の上を通るとの伝承がある。これは二つの磐座が信仰の上で何らかの関連をもっていたことを示すものであろう。この岩明神の祭神は『福山志料』に

屋船豊宇気姫命、御神躰ハ石ナリト云

とあり、同じ天神系でも異なっている現地には「岩明神」という小字名もあり、地域をあげての磐座信仰が生きてきたといえよう。