古代の山城 茨城について(北山芋原の地が茨城ではないか?)

備陽史探訪:42号」より

井村 富貴男

福山市加茂町北山芋原 標高四〇〇米 家数七〇戸の小部落 これが私の住む所です。芋原の地に昔より「大すき」と云われている空堀が有ります。これは東西約一〇〇〇米、南北五〇〇米のだ円形で部落を鉢巻型にとりまいています。北側から東側にかけては空堀がはっきりしております。その長さは、約一〇〇〇米西側と南側は今はこわされてはっきりしない部分も有ります。

日本書記に出て来る養老三月十二月に備後の国安那の茨城芦田の常城をとどむと有りますが、これが北山芋原の地に有る茨城ではないでしょうか。

他の古代山城は出来上って居たが茨城と常城は建設中に朝鮮と我国との和平交渉がなり城建設の必要がなくなったので建設なかばで中止になったのではないでしょうか。

芋原の地が古代山城の条件に適しているだろうか。標高四〇〇米、東西南と三方は急峻な山であるため、緊急時に立て籠るのには適して居ます。又、多人数が立籠るための必要な水はどうか。芋原の井戸をしらべて見ると良く出ると云われる井戸が数ヶ所有ります。こうした条件を見ますと此の地が茨城であったとしても良いのではないでしょうか。

管理人古代史「備陽史探訪:42号」より 井村 富貴男 福山市加茂町北山芋原 標高四〇〇米 家数七〇戸の小部落 これが私の住む所です。芋原の地に昔より「大すき」と云われている空堀が有ります。これは東西約一〇〇〇米、南北五〇〇米のだ円形で部落を鉢巻型にとりまいています。北側から東側にかけては空堀がはっきりしております。その長さは、約一〇〇〇米西側と南側は今はこわされてはっきりしない部分も有ります。 日本書記に出て来る養老三月十二月に備後の国安那の茨城芦田の常城をとどむと有りますが、これが北山芋原の地に有る茨城ではないでしょうか。 他の古代山城は出来上って居たが茨城と常城は建設中に朝鮮と我国との和平交渉がなり城建設の必要がなくなったので建設なかばで中止になったのではないでしょうか。 芋原の地が古代山城の条件に適しているだろうか。標高四〇〇米、東西南と三方は急峻な山であるため、緊急時に立て籠るのには適して居ます。又、多人数が立籠るための必要な水はどうか。芋原の井戸をしらべて見ると良く出ると云われる井戸が数ヶ所有ります。こうした条件を見ますと此の地が茨城であったとしても良いのではないでしょうか。備後地方(広島県福山市)を中心に地域の歴史を研究する歴史愛好の集い
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