2013年10月5日発行
弘道館
阿部氏四代藩主阿部正倫(まさとも)により、天明6年(1786年)に設置される。明治維新後、無人となり荒廃が進んでいたが、昭和13年(1938年)に西小学校の校庭脇に移転され青少年の練成道場となり。昭和14年(1939年)「振励館」と命名される。太平洋戦争後、土地は能満寺の所有となり、最終的には建物も寺所有となって、最後は碁会所などに用いられていた…
<目次>
- 福山城復元図
- 水野時代初期の城下西側
- 水野時代の城下西側
- 阿部時代の城下西側
- 近代の城下西側
- 昭和時代の航空写真
- 現在の城下西側の地図
- 能満寺と杉原信平・為平
- 弘道館
- 福山藩と松平三河守綱国
- 龍淵寺と酒井山城守重澄
https://bingo-history.net/archives/14571https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2016/03/0958625392718d13c494d6085e7f56c2.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2016/03/0958625392718d13c494d6085e7f56c2-150x100.jpg管理人デジタルライブラリー2013年10月5日発行 弘道館 阿部氏四代藩主阿部正倫(まさとも)により、天明6年(1786年)に設置される。明治維新後、無人となり荒廃が進んでいたが、昭和13年(1938年)に西小学校の校庭脇に移転され青少年の練成道場となり。昭和14年(1939年)「振励館」と命名される。太平洋戦争後、土地は能満寺の所有となり、最終的には建物も寺所有となって、最後は碁会所などに用いられていた… <目次> 福山城復元図
水野時代初期の城下西側
水野時代の城下西側
阿部時代の城下西側
近代の城下西側
昭和時代の航空写真
現在の城下西側の地図
能満寺と杉原信平・為平
弘道館
福山藩と松平三河守綱国
龍淵寺と酒井山城守重澄 福山城の西側を歩く管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会