福山の遺跡一〇〇選」より

平田 恵彦

立岩遺跡
立岩遺跡

立岩遺跡はいわゆる磐座(いわくら)祭祀の遺跡である。磐座信仰とは、日本に古くかるある自然崇拝の一種で、巨岩に対する信仰である。自然崇拝の例は巨岩以外にも、禁足地としての鎮守の森(モリ自体が神社をさし、杜は鎮守の森ことである)や、三輪山(奈良県桜井市)のように笠形の山(神奈備)に対する信仰、富士山のように火山(浅間)に対する信仰、立山連峰(富山県)のように高い山(高嶺)に対する信仰、あるいは、滝、風雨、雷など対する信仰など多岐にわたる。

岩に対する信仰として他に磐境があるが、こちらは磐座に対してその実例が非常に少ない。そのため同一のものと目されることもある。実際、その区別ははっきりとしない。古くは、神事において神を磐座に降臨させ、その神威をもって祭祀の中心とした。時代とともに、常に神がいる神殿が常設されるにしたがって信仰の対象は磐座や神木から遠のき、神社そのものに移っていった。

しかし、もともとは古神道からの信仰の場所に、社を建立している場合が多いので、境内に依り代として注連縄が飾られた神木や霊石が、そのまま残っている場合も多い。この立岩は「天津磐境」ともいわれ、磐境の数少ない伝承例である。「いわさか」の「さか」とは、神域と俗世との境を意味する言葉である。

現在は「岩田山神社」として宗教法人登録されており、祭神は神武天皇となっている。氏子も三五〇戸ほどある。ただし、本殿や拝殿はなく、岩盤の上に巨岩が屹立しているのをそのまま拝するようになっているので神社には見えない。

立岩の高さは約四m、周囲は一一mを測る。岩盤の上に、舟形の巨石二個があり、そのLに円筒状の巨岩が乗っている。見た目にはスルメイカに似たユーモラスな形をしている。また、背後には環状の列石が認められる。

社伝によれば、神武天皇が、安芸の埃宮から海路藁江に入り、この岩田山に宮を置いたという。昭和一五(一九四〇)年、皇紀二千六百年を記念して、記紀に記載のある吉備の高島宮址を国が指定することとなった。

その際、各地の伝承地はそれぞれその候補地をあげて盛んに運動を行った。金江と柳津も一体となって、吉備高島宮顕彰会を組織し、村議会で予算を付けてこの立岩や、柳津の御陰山を神武天皇の聖蹟として整備を実施した。立岩には、矢来をめぐらし、注連縄をはり、神楽を奉納し、当時の広島県知事も視察に訪れたという。その際、立岩にはかなり手が加えられたという古老の話もある。

【立岩遺跡】