比叡尾山城跡の穴蔵
昨日(11月11日)、備陽史探訪の会11月バス例会が無事行われた。
主な目的地は三次市畠敷町の比叡尾山城跡、備後三吉氏の本拠として有名な山城である。
穴蔵を確認
3回の下見で発見できなかった「穴蔵」を遂に実見することが出来た。
穴蔵
想像したものより小さい人工的な石を組み合わせて造った横穴で、入口は70センチ四方であろうか。
5メートルほど奥に伸びているが、その先も埋もれてはいるが続いているようである。
フラッシュで撮影すると「穴」は奥に続いていることが分かる
穴蔵の呼称は、何によるのか不明だが、現状では穴蔵というより「排水溝」と考えた方がベストである。各地の類例を教えていただければ幸いである。
https://bingo-history.net/archives/21687https://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/03/img_1-13.jpghttps://bingo-history.net/wp-content/uploads/2019/03/img_1-13-150x100.jpg事務局だより昨日(11月11日)、備陽史探訪の会11月バス例会が無事行われた。 主な目的地は三次市畠敷町の比叡尾山城跡、備後三吉氏の本拠として有名な山城である。 穴蔵を確認 3回の下見で発見できなかった「穴蔵」を遂に実見することが出来た。 穴蔵 想像したものより小さい人工的な石を組み合わせて造った横穴で、入口は70センチ四方であろうか。 5メートルほど奥に伸びているが、その先も埋もれてはいるが続いているようである。 フラッシュで撮影すると「穴」は奥に続いていることが分かる 穴蔵の呼称は、何によるのか不明だが、現状では穴蔵というより「排水溝」と考えた方がベストである。各地の類例を教えていただければ幸いである。管理人 tanaka@pop06.odn.ne.jpAdministrator備陽史探訪の会