かつては金が採掘され大変な賑わいであったという、福山市北部(新市町藤尾)の山中に位置した「父尾銀山」
こうした未知の遺跡を探す企画「進め探検隊!」第一弾ということで、調査団を組織し11月18日に坑道の探索を行ないました。


より大きな地図で 父尾銀山 を表示

集合場所の新市町吉備津彦神社から3台の車に分乗し山道を進むこと約20分で麓まで到着します。真っ盛りの紅葉に川のせせらぎが聞こえる綺麗なところです。
紅葉

 

車を降り林道を歩きます。整備されておりとても歩きやすい道になっています。
林道

 

が、しかし、ふと崖下を見渡すとそこかしこに不法投棄された洗濯機や冷蔵庫が…
不法投棄

 

林道を15分ほど登ったところから山に少し入ると「新穴」と呼ばれる坑道跡がありました。
坑道

 

内部は竪穴と横穴の2手に分かれ、相当に深そうです。江戸時代の文献(小場家文書)に横穴を掘ったことが記載されていますが、この穴でしょうか?
坑道内部

 

この坑道から山道を進みます。

 

かつての道路の跡と思われる石垣があります。鉱山が盛んだった頃に使用されていたのでしょうか。
石垣

 

「千人塚」と呼ばれる坑道がありました。ここからかつては金が採掘されていたとのこと。千人塚というのは、「父母惣社村松氏先祖の巻」によると、寛正二年(1461年)に山崩れにより74人が死んだことに由来するとか…
千人塚

 

穴は土砂で半ば埋まっていますが、奥まで続いているようです。
千人塚坑道

 

ここから更に山の上を目指しますが、直接登れそうなところがないので一旦山道を降りて林道からアプローチします。

林道を登ると薄暗い檜林から見通しのよい斜面になります。こんなところに金が出た室町時代には4500戸もの家が連なっていたというから、驚きです。
遠景

 

再び山道に入り、笹を掻き分けて進みます。この周囲には「大根畠」と呼ばれる場所があり、一説には鉱夫の栄養補給に大根を作っていたとか…
山道2

 

山の頂上付近に竪穴?がありました。
竪穴外観

 

この場所はちょうど千人塚の真上にあたりますので、ここから千人塚に繋がっているのかもしれません。
竪穴

 

以上で父尾銀山の位置は特定できましたが、竪穴から林道を挟んで反対の山に道標があるというので、見学に行きます。位置的にはかつての街道「野呂往還」から蛇円山へと続く道のようです。
山道3

 

道標がありました。
道標

 

道標には文字が刻んであります。割に新しいもののようです。
道標アップ

 

こうして父尾銀山の探索は無事終了。12:30に吉備津彦神社で解散しました。
吉備津彦神社駐車場

 

なお、今回測定した座標データは以下のとおりです。
(世界測地系10進数)

ポイント 緯度 経度
新穴 34.626402 133.286557
千人塚 34.627961 133.289073
竪穴 34.628439 133.290030

 
ちなみに、山道は整備されておらず、携帯が圏外の場所もあり、坑道は落ちると上がってくるのが困難そうだったりと、気軽に見学できる場所ではありませんので、ご注意ください。

http://bingo-history.net/uploads/2012/11/12354cd9037d8bac3449d9713bc900ac.jpghttp://bingo-history.net/uploads/2012/11/12354cd9037d8bac3449d9713bc900ac-150x100.jpg管理人活動報告報告,父尾銀山かつては金が採掘され大変な賑わいであったという、福山市北部(新市町藤尾)の山中に位置した「父尾銀山」 こうした未知の遺跡を探す企画「進め探検隊!」第一弾ということで、調査団を組織し11月18日に坑道の探索を行ないました。 より大きな地図で 父尾銀山 を表示 集合場所の新市町吉備津彦神社から3台の車に分乗し山道を進むこと約20分で麓まで到着します。真っ盛りの紅葉に川のせせらぎが聞こえる綺麗なところです。   車を降り林道を歩きます。整備されておりとても歩きやすい道になっています。   が、しかし、ふと崖下を見渡すとそこかしこに不法投棄された洗濯機や冷蔵庫が…   林道を15分ほど登ったところから山に少し入ると「新穴」と呼ばれる坑道跡がありました。   内部は竪穴と横穴の2手に分かれ、相当に深そうです。江戸時代の文献(小場家文書)に横穴を掘ったことが記載されていますが、この穴でしょうか?   この坑道から山道を進みます。   かつての道路の跡と思われる石垣があります。鉱山が盛んだった頃に使用されていたのでしょうか。   「千人塚」と呼ばれる坑道がありました。ここからかつては金が採掘されていたとのこと。千人塚というのは、「父母惣社村松氏先祖の巻」によると、寛正二年(1461年)に山崩れにより74人が死んだことに由来するとか…   穴は土砂で半ば埋まっていますが、奥まで続いているようです。   ここから更に山の上を目指しますが、直接登れそうなところがないので一旦山道を降りて林道からアプローチします。 林道を登ると薄暗い檜林から見通しのよい斜面になります。こんなところに金が出た室町時代には4500戸もの家が連なっていたというから、驚きです。   再び山道に入り、笹を掻き分けて進みます。この周囲には「大根畠」と呼ばれる場所があり、一説には鉱夫の栄養補給に大根を作っていたとか…   山の頂上付近に竪穴?がありました。   この場所はちょうど千人塚の真上にあたりますので、ここから千人塚に繋がっているのかもしれません。   以上で父尾銀山の位置は特定できましたが、竪穴から林道を挟んで反対の山に道標があるというので、見学に行きます。位置的にはかつての街道「野呂往還」から蛇円山へと続く道のようです。   道標がありました。   道標には文字が刻んであります。割に新しいもののようです。   こうして父尾銀山の探索は無事終了。12:30に吉備津彦神社で解散しました。   なお、今回測定した座標データは以下のとおりです。 (世界測地系10進数) ポイント 緯度 経度 新穴 34.626402 133.286557 千人塚 34.627961 133.289073 竪穴 34.628439 133.290030   ちなみに、山道は整備されておらず、携帯が圏外の場所もあり、坑道は落ちると上がってくるのが困難そうだったりと、気軽に見学できる場所ではありませんので、ご注意ください。備後地方(広島県福山市)を中心にした地域の歴史を研究しする歴史愛好の集いです