2010年02月09日

福山築城四百年に向けて(外側から見た福山市)

備陽史探訪:152号」より

田口 義之

”井の中の蛙”とはよく言ったものだ。渦中にいると、ものの本質や良さが見えにくい。ということで、最近は出来るだけ機会を作り、外側から福山の街づくりを考えることにしている。

先日、久しぶりに上京した。仕事の出張のため、一泊して会議と懇親会に出席しただけで、「とんぼ返り」と言っていい慌しい「旅」であったが、得るところは多々あった。

日頃の出張と言うと見飽きた景色で、ほとんど居眠りで過ごすが、今回は往復とも新幹線の車外風景に釘付けとなった。以前、東京へ通っていた頃は何も感じなかったことだが、今回は、沿線にやたら目にする「看板」に見とれてしまった。

ほとんど、高架とトンネルの山陽新幹線と違い、平野部が多い東海道新幹線の沿線には大きな看板が多い。しかも看板主は大企業から中小企業、学校・自治体まである。これらの看板の効果は絶大なものがあるのではないか…。これが率直な感想であった。

そこで思い出したのが、ある友人が言った次の言葉だ。

「おい田口、東京で『福山』と言っても誰も知らないが、『城の中に新幹線の駅のある町』と言ったら、ほとんどの人が、『ああ、あの町か…』と思い出して呉れるんだ…」

確かに、「のぞみ」で東京まで往復しても福山城ほど新幹線から間近に見える城は無い。その宣伝効果ははかり知れない。

ここで私が「ふと」思ったのは、福山にとってこれほどの宣伝価値を持っている福山城を我々は大切にしてきたのかどうか、ということだ。答えは「否」としか言いようがない。行政も市民もただ目先のことに追われて、「お城」をおろそかにし過ぎて来たように思う。

福山が福山城の城下町として誕生したのは紛れもない事実である。だがこのことはなおざりにされてきたのではないか…。以前手にした小学校の副読本「わたしたちの福山」に、福山築城のことが一切触れられていなかったことに愕然とした記憶がある(改定されていることを祈っている)。

毎年のように、市は「売り出し」のキャンペーンを、手を変え品を変え実施している。結構なことだが、いくらやってみても全国から見たら、福山は「城の中に駅がある町」なのである。福山城を抜きにして、福山は語れない、市も市民もこのことをもっと認識すべきである。福山城ほど全国に通用する「福山ブランド」はないのだ。

あと十二年で福山城は築城四百年を迎える。今の天守閣はそろそろ「築50年」の耐用年を迎える。ここで天守閣を本格的な木造建築で建替えることを考えたらどうだろうか、それも出来る限り焼失前の天守閣を忠実に復元する。

実は、現在の鉄筋コンクリート作りの「復興天守閣」は、明らかに「本物」と違う箇所が二つある。ひとつは窓枠だ。焼失前の天守閣の窓は古写真を見ると「黒く」写っている。また、福山城の天守閣の大きな特徴は北面の壁全面に鉄板が打ちつけられていたことだが、これも今の鉄筋の天守閣には無い。これらも忠実に復元するのだ。

この夢が叶えば福山のブランド力が格段に向上すること請け合いである。皆さんのご意見を伺いたい。