2009年12月10日

遍照寺山城頼り(5)(神辺町中条城郭測量調査)

備陽史探訪:151号」より

城郭研究部会 藤波 平次郎

「やっと終わった!」測量の最終日十一月十五日午後四時十五分、暮れ始めた神辺平野を眼科に眺めながら参加した八名の胸に去来したのはこの実感ではなかったか。

この日も十時と三時の休憩はとらず強行した測量であった。D郭群の一部とD郭軍の南端までの計測を終え、せまってくる黄昏にもかかわらず、達成感とともにいつものように熱いコーヒーを味わった八名であった。

本堂に参詣して無事終わったことに感謝して、ご住職に測量の終わりを告げ「後は整理と掃除に参ります」ご挨拶すれば笑顔で会釈を返されたので少し気持ちが軽くなった。そうしてみんなの所へ戻って黒ずんだ山を見返ると何故か帰りたくない気持ちになっていた。まだまだ整理が片付けも済んでいないので当然のことであるが、散々てこずらせた恋人と分かれる気分と云おうか、六年前の「大内山城跡」の時もそうであった。測量の経験のない私が会員の皆さんを呼び集め、地元や山の地主との交渉、そして内部への報告など苦心したものであったが、終わってみれば去り難い気持ちになっていたものだ。

終って地元の人に御礼や挨拶、作成された図面や出来上がった本を持って訪ねる。こうした行為で終わった実感を確かめていくにもかかわらず、今でも通りすがりに「大内山城跡」を眺めると当時の心が偲ばれてくるのだ。たぶん、この山もそうなるのだと思う。

生まれた故郷であり、中心になって指導してくれた坂本敏夫氏にとってはこの思い、もっと強烈であると思う。思えば一月末から坂本氏を中心に部会長の小林浩二氏、事務局長の藤井保夫氏と私の四人でスタートをきった調査測量であったが、それから幾人の人々のお世話になったことか。

測量のみになってからはさすがに参加者は少なくなったものの、当初の伐採の凄さ、喧騒を思い出すと人の心の熱さがモロに伝わってくる。その中を右往左往するだけだった自分が今更に情けなく思うが、山城の測量というものを知り得て、地図や現場をよく見ての計画性がいかに大切であるか、今も反省しきりである。

カメラのフタをなくし、見つけてもらったり、計器のネジが飛んで、ホームセンターに買いに走ったり、「カブレの木」にカブれたり、懸命に杭の木を切り削ってくれた平井氏夫妻、終盤の十一月八日、十五日にはスズメ蜂の巣に出会い、恐れおののきながらの測量となったりで、本来の山城の凄さを感じるより現実の生活感たっぷりに味わいながら手弁当で通ってくれた諸氏には何もせず、ただ頭を下げるのみである。

また、中条から三谷の神社や今も残る城跡、そして遺跡溢れる神辺平野を毎週の如く駆けて十か月余、この間に皆はまた一つ歳を増やしたものの、人として重みを増したものと納得して頂きたい。

我々が常に追いかける備後地方における中世の人々の姿を想像する材料がまた増やせたと信じたい。来年の二月、三月には遍照寺山城跡の見学会や報告会を開き、当会機関誌「山城志」に遍照寺山城跡を特集する予定である。どうか行事予定や会報に注目し続けて頂きたい。そして、当会三〇周年記念誌「福山の遺跡百選」も出版され、その中に「遍照寺山城跡」も入って皆の努力の結集をみることになる。しかしながら「もっと気軽に山城を歩きたい、歩こう」が今の私の感慨である。