備陽史探訪:77号」より

出内 博都

【路傍の文化財】

地神(ジジン)さんという呼び名で親しまれている地神塔にも色々な形、神名があって、その土地・時代の民俗と関連して考えさせられるものがある。民俗学辞典には、大要次のように記されている。

春分・秋分に最も近いツチノエ(戊)の「社日」といい、この日に地神を祀る講を「地神講」とか「社日講」と呼ぶ。社日には土を動かしてはいけないという禁忌があり、この日は畠仕事をしないで、講中が当屋に集まって、神事やお供えをして地神を祭る。全国的にはごく稀に「刻像塔」もあるが、大部分は自然石や角柱に「地神」と刻字した文字塔が多い。刻字のない文字通り自然石のものもある。地神は稲の穂を持って来た神とか、春の社日に来て田畠に出て、秋に帰るまで作物を作っている作神と考えられている。多くは集落単位で講が組織され、元禄期頃から始まったとされ、西日本では瀬戸内地方に濃密な分布がみられる。

地神塔は大別すると形態的には二つの系統になる。一つはかなり大きく形のよい自然石を立てたものと、他に五角柱の石塔に神名を刻んだものがある。地域差もあるだろうが、一般的には自然石の方が多いようである。自然石に「地神」と楷書で深々と彫られたものが多い。神名はこの他にごく僅かであるが「大土御祖神」とか「堅牢地神」「地皇」なども例外的にはある。

「堅牢地神」という神名は「阿含経」や「金剛経」などの仏典にあり、この神は大地を司る神として説かれている。また、地神(ジジン)は文字通り土地の神、道の神と解釈され農耕神という信仰から転じて道祖神を「ジジン様」として拝み、社日に地神講をしている処もある。道祖神をジジン様が習合した形で、両者に共通した性格つまり道の辻などあって、よそから入ってくる魔物を排除するという役目と同時に、農耕神としての性格をも持っていると解されたものと思える。道祖神の前に立てられる御弊に「大土祖神」と書かれているのも、作物を育てる「つち」の神という素朴な農耕神信仰がうかがえる。ジジン様が農耕神そのものである形は、福山市加茂町中野の県道沿いに、高さ二メーター近い大きな自然石に「五穀神」と彫ったジジン様がある。これなどは単に土地の神というより農耕神としての信仰が強く現れた形であろう。

自然石を基調とした地神塔のほかに五角柱の石塔の各面に神名を彫ったものがある。五角形の一辺が十センチから十数センチ、石柱の高さが数十センチの整った形の石塔である。五角柱の各面に彫られた神名の文字は異なるが、
①天照大御神
②大己貴命オ(オナムチノミコト)
③少名彦命(スクナヒコノミコト)
④倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
⑤埴安媛命(ハニヤスヒメノミコト)
の五神である。この五神は古事記と日本書紀とでは、その出自、神名、神徳なども異なるので各石塔によって表現は多少違っている。①の神は日本の神々の象徴で、国作りの基本である農耕の神として、信仰の中心になるのは当然である。②の神は大国主命のことである。この日本国土で生え抜きの神で、原初的国作りの神である。③は小人神であるが大国主命を助けて国作りをなし、特に医療、穀霊を司り、常世の国にかえるという永遠の生命の象徴である。④は伊勢外宮の豊受大神に象徴される食物の神で、稲荷神とも関連がある。⑤の「ハニヤス」は土を練って柔らかくするの意で、土作りは農の基本だという現代の篤農精神にマッチするような神である。この神は夫婦神であるがどこでも姫神の名しかない。子を生み、育てる女性の霊力を象徴したものであろう。この五角柱ジジン様は近世中期以降、国学の隆盛と関連するので、発生的には遅く大正期に建てられたものもあるといわれている。

農民の生活の中に堅く根付いていた地神講(社日講)は、現在では大きく様変りしているが、春先には大抵の「ジジンサン」には新しい注連縄がかかっているのを見ると、心のなごむおもいがする。社日が何日かなど探る手がかりもないこの頃である。ちなみに、今年(平成九年)は三月十七日であった。

以上二型式の地神塔をみてきたが、私の住居地、福山市千田町には少し変わった「ジジンサマ」があることが分かった。変わったと言っても五角柱の形に変わりはない。そのジジンサマがあるのは、千田向西の九池の堤に金比羅塔や天神さんと並んで立っている。

変わっているのはその五角柱に彫られた神名である。そこには誠に奇妙な神名がある。
①天照皇大神官
②少昆古那命神
③笹倉尊神
④土祖神
⑤蛇魂神
の五神名である。①が神名ではなく神宮名になっている。皇大神宮という呼称がいつ頃できるのか、又、天照大御神という神名どうなのかをみると、近世に入って伊勢神宮の御師(おし)の活躍により伊勢信仰が普及し、爆発的な「お陰参り」が起ってくる。その頃御師が配布した大麻や、お陰参りの祓大麻に「天照大神宮」の名称がみられる。

おかげ参りに降ったお祓大麻
おかげ参りに降ったお祓大麻

お陰参りは既に寛永十五年(一六三八)の記録があるのでかなり早い時期に「天照大神宮」という社名は一般化していたのであろう。神名を彫らないで、神宮名をいれたのは御師の配布した大麻の影響とみられる。②の少毘古那命神は文字が違うだけで、他地方のものと異ならない。③の神名は神道辞典に見当たらない。但し笹倉神社はあるのでその項を見ると「篠倉(シノクラ)神社をみよ‥」とあった。その項をみると(イ)篠座(シノクラ)神社……福井県大野郡大野町字篠座(県社)……大己貴命を主神とし、豊受姫命・少彦名命・木花咲夜姫命・市杵島姫命を配祀する。……(口)篠倉神社……岐早県山県郡葛原村山戸(郷社)・大己貴命を祀る。越前国大野郡の式内社篠座神社の分霊とあり、両者は本来同一の神社であった。いずれも大己貴命主神とする社である。ジジン塔の五神に関連あるような気もするが「ササクラ」と「オオムナチ」との結び付きは分からない。遠い中部地方でなく、この近くにも「ササクラ=シノクラ=オオムナチ」の神社があるのではないだろうか。④の神名は神名はジジンサンの神名としては一応うなずけるが、これは「道祖神」と「ジジン」が神仏混清した例(岡山県川上町)に近いものとみてよいと思う。「ツチの祖」と言えば「ツチの霊」につながる神を想定できるが、一方でいつも村の入口、道を守ってくれる「道祖神」のイメージがだぶって「ドソシン」と言うユニークな神名を創作したのではないだろうか。⑤の神名は誤字で正しくは蚪・虬・蛟などの字を充てる。訓は「ミヅチ」と読む。古くは濁らないで「ミツチ」と言った。「ミ」は「水」、「ツ」は「ノ」、「チ」は霊をあらわし「水の霊」と言うことになる。

想像上の動物で蛇に似て長く、角と四本の足がある。水中に住み毒気を吐いて人を害する(大辞泉)神で、粗末にすると祟りをなす自然の本質である。千田沼として二十世紀の今日まで人々を悩ました湿潤地帯で一鍬々々大地を耕したこの地の先祖はこの神に特別な思いをかけて祈ったのであろう。

今年の社日にもこの「ジジンサン」には、ま新しい注連縄が飾られていた。

※この稿をまとめるにあたって『古典と民俗』所収の「地神塔覚書=西岡陽子」の論文を一部参考にさせていただきました。