1990年07月14日

中世の浄土宗 西山派と鎮西派

備陽史探訪:48号」より

堤 勝義

鎌倉時代に法然が創唱した浄土宗は、今日では六派にわかれている。①浄土宗(総本山・京都智恩院、大本山・東京増上寺等)。②黒谷浄土宗(大本山・京都金戒光明寺)。③浄土宗捨世派大(本山・京都一心院)。④浄土宗西山深草派(総本山・京都誓願寺)。⑤浄土宗西山禅林寺派(総本山・京都禅林寺―通称永観堂―)。⑥西山浄土宗(大本山・京都乙訓郡光明寺)。である。

①浄土宗②黒谷浄土宗③浄土宗捨世派は、法然の弟子聖光坊弁阿の鎮西派からわかれたもの。

④浄土宗西山深草派⑤浄土宗西山禅林寺派⑥西山浄土宗は、法然の有力な弟子であった証空の西山派からわかれたものである。

法然の弟子はたくさんいたが、親鸞は法然から離れて、後の浄土真宗の元を作っているので、此の二派が主流になっている。

今日の浄土宗寺院を広島県内にみると、県内では浄土宗派が多数を占めているので、少数派の西山派の方をあげてみると、広島市では、西山深草派が三寺院、西山禅林寺派が一寺院である。尾道市には西山禅林寺派が三寺院持(光寺、宝土寺、光明寺)あり、比婆郡東城町に西山深草派が一寺院(四方寺)ある。

法然は天台宗の学僧であり、智恵第一といわれたともいう人である。法然は南無阿弥陀仏の念仏を撰択して、布教をしていった人であり、法然の遺誠ともいうべき一枚起請文には、

往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思いとりて申す外には、別の子細はなく、念仏を信ぜん人は、たとい一代の法を能々学すとも、一文不知の愚とんの身になして、尼入道の無知のともからに同して、智者の振舞をせずして、ただ一向に念仏すべし

とあり、往生を願ってひたすら念仏に専修することと、念仏を修せん人は、よく学問をつんでいても、智者のふるまいをせずに、ただ一向に念仏をすべきことを説いている。

但、法然の場合は弟子の親鸞のように徹底して他力、阿弥陀にすがるということでなく、天台僧としての一面を持っていたものと思われる。

西山派は最初法然の有力弟子証空がいることにより、智恩院を占めていたが、後に鎮西派が有力となり、鎮西派にとってかわられることになる。

証空の西山派は、一類往生説を立てる。

一類とは念仏で、念仏は本願であるから往生の因となるが、本願でない諸行は往生の因とはならない。阿弥陀仏が正覚以前に立てた誓願を既に完成して仏となっているので、衆生の往生も既に成就していることになる。我々衆生は往生することがすでに仏の方において成就しているのに、我々はそれを知らずに迷っているのであるから、もし我々がすでに悟っているものであることを深く信ずる時には、我々の為に成仏した阿弥陀仏の徳力が現われて来るのであって、従って念仏のいわれを領解することは、すなわち往生するのである。

念仏のみが往生の正因となるのであって、諸行は往生の正因とはならない。念仏をとなえて往生することが出来るのは、阿弥陀仏がすでに誓願をして仏となっているので、衆生の往生もすでに保証をされているのだ。但、私達はそれに気付かないだけなのだ。それゆえ、此の事を領解して、念仏を説えるならば、往生はおのずと保証をされるのである。これが西山派の一類往生説である。

一遍の時宗は、証空の弟子の証達が一遍の師であるので、西山派の影響を強く受けている。

余談であるが一遍の場合は

、阿弥陀仏が正覚をえて、往生がすでに保証されているのであるから、念仏を信じようと、信じまいと賊算(南無阿弥陀仏の念仏札)を渡せば、受け取った人は、往生が保証されるのであるとなる。

西山派の一類往生説をより易にしていることがわかる。

聖光坊弁阿の鎮西派は、二類各生説を立てる。聖光坊は九州の筑紫の人で、法然晩年の六年間の弟子である。

二類各生説は

阿弥陀仏の本願はただ称名念仏の一行を選んで、凡夫往生の正業としたのであるから、念仏を唱えて往生を願う者は、本願の力で弥陀の訪土に往生出来るが、他の諸行は本願ではないから、一旦その方向を転じて往生を願う行としなければならず、往生を願う行でも往生出来るとするのである。

念仏と諸行の二類の往生を認めるのである。

阿弥陀仏が、称名念仏の一行を選んで、凡夫往生の正業としているのであるから、念仏を唱えて往生を願う者は、本願の力で往生出来るのは当然である。諸行についても、行そのものでは往生は保証されていないが、往生を願う行を行なうならば、行でも往生が保証されるのであると。念仏と諸行を認めているのである。

このように、法然の弟子の中で、すでに、往生の保証についての考え方がちがってきているのである。

私達は浄土宗というと法然の創唱したものと考える場合が多いいのではないかと思うが、その弟子、孫弟子になってくると、派によってかなり、教義上の相違が出てくるのである。それゆえ浄土宗△△派と宗派を確認する必要があるのである。日蓮宗や浄土真宗等においても同様であり、お寺巡り等の場合には宗派を確認をし、その歴史的背景を考える必要があるのである。

鎮西派が現在のように隆盛するのは、聖光坊弁阿の弟子良忠の力が大である。良忠は、北条氏一門の大仏(おさらぎ)氏の帰依を受け、鎌倉に悟真寺(現在の光明寺)を建て、勢力を伸張していった。

日蓮の北条氏による瀧ノロの弾圧にも、積極的に干与をしている。

以上の事を前提として、備後地方の浄土宗寺院として、沼隈郡山南の悟真寺をあげてみたい。

沼隈郡山南の悟真寺は良忠の開基といわれている。『沼隈郡誌』によると、

昔は光明院という天台宗であったが、良忠が筑後からの帰りに当院に留賜し、教化して寺を浄土宗に改めた。後無住となったが、鎌倉光明寺七世の聖誉上人が再興し、悟真寺を名乗ったという。

後には、山南を領した渋川氏も帰依したという。沼隈郡の山南は、浄土真宗明光派も、鎌倉の最宝寺とかかわり深く、関東の鎌倉と深いつながりがあった。