1996年11月09日

土俗信仰としての盃状穴遺跡について(福山市千田町を例として)

備陽史探訪:73号」より

出内 博都

二段目台石の盃状穴群

千田八幡宮常夜燈二段目台石の盃状穴群

盃状穴とは鳥居、手洗鉢、灯籠、台石などの石造物や岩に、盃状の穴を人間の手によって刻まれたもので穴の大きさはさまざまで、大きいのは十二糎もあると言われ、深さもいろいろで八糎もあるものもあるようである。発生は古代からで古墳の葺石にみられ、山口市の神田山古墳の石棺の蓋石や、福岡県三雲遺跡の弥生前期の支石墓などの例があげられている。この付近では愛媛県生名村立石山麓出土の盃状穴石、安芸郡下蒲刈町の正善寺の手洗鉢などの例がある。

盃状穴は女性のシンボルをかたどったもので、呪術や土俗信仰と深くかかわっているという。盃状穴はその形状から生殖と子孫繁栄への願望を表わした性信仰の象徴であり、生産と豊穣を祈る民族信仰の一つであると言われている。この風習は大正頃まで行われていたらしい。因島市史料館前の燈明台は明治元年に建立されているが、台石に二十個の穴が認められ、明治時代までこの風習があったことが確認できる。

外国の例としては、スカンジナビア諸国、イギリス、フランス、フィンランド、中央アジア、シベリアなどがあげられる。朝鮮半島でも多く発見され、簡明に「性穴」と呼んでいる。生産と豊穣のシンボルとしての性穴信仰が土俗信仰として最近まで残っていたことが知られている。田舎の婦女子は男子出生を祈る時に陰暦七月の七夕に七つの性穴に栗を入れ祈ったのち、この栗を韓紙に包みチマ(はかま)の下にかくし下山すれば、男の子を得ると信じられている。また、スエーデンでは夜にバターをこの性穴に流しこんで祈れば、その年の農業と家畜の生産が高くなるなど、世界各地にいろいろな形で伝えられている。

以上は因島市文化財協会理事・田中稔先生のご教示をそのまま掲載させていただきました。さらに田中先生は因島市において六ヶ所、百十二の盃状穴を紹介されています。

千田町では今のところ、小池集落の国道沿いの八幡宮常夜燈の台石と旧神辺街道の千田大峠にある宝筐印塔刻(経塔)の台座の二ヶ所である。常夜燈のそれは、東側の常夜燈が大小さまざまで二十一個、西側にはわずか四個であり、千田大峠の宝医印塔には大小四個ある。

千田八幡宮常夜燈台石盃状穴分布図

千田八幡宮常夜燈台石盃状穴分布図

因島市のそれと比べて全般的に小さくて浅い傾向がある。東側灯籠の中で大きくて深いもの三個は台石の縁によりすぎて一部が欠落している。円形の中心と円周の関係からみて、後世に欠落したとは思えない。これでは液体は入れられないので、朝鮮半島の場合のように、供物は穀物が主体であったのではなかろうか。どの穴もきれいに磨かれており内側がなめらかである。何を願い、どんな祈りかたをしたのかわからないが、根気よく小さな穴を彫り、供物を入れる穴の大きさからみて、一回にほんのわずかの穀物を供え祈りを捧げたであろう。このように考えると何日かの日参形式であったのではなかろうか(一日分は小鳥がついばむことによって、追善供養となると考えたのであろう)。

因島市には享録三年(一五三〇)のものや天文年間(一五三二~)のものなど年代の古いものがあるが、千田の場合、安永三年(一七七四)と文化三年(一八〇六)と比較的新しいものである。