2012年10月01日

蛙岩(港町公園に残る深津高地と神宮皇三后の伝説)

備陽史探訪:168号」より

中西 タイチ

蛙岩

 

江戸時代後期に書かれた西備名区に

西浜の沖の蛙岩というは、この処に年経たる大蛙ありしが、或時大蛇来りて呑まんとす。蛙三逃げ廻り詮方なく恐ろしさの一念こって岩となる。大蛇は喰わんと見れども岩となりければ呑むこと出来ず大いに気を落とし一念こって、島となり、現在の深津高地となれり。

とある。また西備名区に収められている前記の伝説とは別に、

神宮皇三后が朝鮮にお渡りになっての帰り、暗夜当所を航海の際、蛙の泣き声聞かれた。蛙の鳴き声を聞くからには左方は陸にちがいない、と考えになり、直ちに面舵と命じられて船道を右に転じられた。ところが陸地と思われたのは実は頂を海上に露出している一大岩礁であった。もしこの時、蛙の鳴き声がしていなかったなら船は坐礁し、沈没の危機を免れ難いところであった。これにより蛙岩と名付けられた

という伝説もある。現在の蛙岩は、長さ1メートル程度で高さ50センチ位の岩が地面から覗いているに過ぎないが、上の写真を見ると、周囲は現在のように埋め立てられておらず、二段構えの大岩だったことが判り、これなら深津高地からもはっきり確認でき、まこと大蛙が座っている様にみえるのでは?

この写真は深津小学校高学年用副読本「郷土読本」の復刻版(平三成15年発行)に掲載されており、原本の発行が昭和6年4月20日とあるので、それ以前の蛙岩を撮影した写真ということになる。