備陽史探訪:157号」より

坂本 敏夫

朝日新聞切り抜き
当時の朝日新聞に記載された切り抜きです

昭和五年(一九三〇)十一月十四日深安郡岩成村正戸(現福山市御幸町上岩成)において、秋の陸軍大演習が行われ昭和天皇が上岩成正戸の正戸山に行幸(御幸とも云う)された事は、地元の方を始めご存知の方が多くおられると思いますが、意外と当時の社会状況や具体的に天皇が何処からどのように通られたかの道順は、御存じないのではないかと思い書くことにしました。

まず、この行幸を契機として「岩成村」から「御幸村」へと村名変更が行われたのです。

神辺町字道上小字八反田へ臨時停車所が設けられた。八反田臨時停車所の具体的位置は、岩崎正藤池(十九池)約一〇〇m南の岩崎踏切であり、現在上岩成地区の方々により、岩崎踏切かたわらに案内石柱が立てられています(現在の福塩線岩崎踏切東側の線路北側に面している畠地)。この昭和天皇行幸に際し、両備鉄道(現在のJR西日本福塩線)は、「軽便用御料車」を別途天皇のお召し列車として、日本車両製造に製造させてその車両を福山駅から道の上駅西約八〇〇mの八反田臨時停車所間を走らせています。

御召列車臨時停留所跡
岩崎踏切傍らの案内石柱

なおこのお召し列車はこの時一度限りの使用でこのあとは、使用されることなく昭和十年日本車両製造鷹取工場で解体されております。

八反田臨時停車所から昭和天皇は自馬に、乗馬され小藤川沿いに北上してから古山陽道(現在の県道新市御領線)を西に進み正戸山へ向われました。

岩崎踏切から正藤池西北角までの間の小路(元は大八車幅であった)と現在の県道新市御領線の四つ角・六反田間が急遠拡幅整備されました。

しかし、この県道新市御領線の拡幅整備工事が行われたにも関わらず、何故か八軒屋高橋店前の道路上には胴廻り大人三人がかりでも抱えきれない高さ二〇m近い枝ぶりの良い松の大木が残され「御幸松」呼ばれていました。(昭和四〇年代末に松枯れにより伐採)

なおこの年秋の大演習は、同時に岡山(倉敷市玉島町勇崎に記念刻碑が造立されている)でも行われたと記されています。

この岡山大演習に向かう途中の時の総理大臣「浜口雄幸」が、十一月十四日東京駅にて右翼青年佐郷屋留雄に狙撃され重傷を負い翌年八月二十六日この傷がもとで死去しました。

この時「浜口雄幸」の発した言葉が後に明らかとなった「男子の本懐である。時間は何時だ」と云ったと伝えられている。明治生まれの気骨政治家浜口雄幸の人間性をよく表した言葉であると思います。

このように、時の総理が狙撃重傷を負うという大事件が起きた事に、関わりなく岡山・岩成両所でともに陸軍大演習が行われ天皇も両所へ行幸されています。これもまたこの時代を表していると言えるでしょう。

この昭和五年という年は、昭和三年から始まった昭和大恐慌と前年一九二九年十月のニューヨーク証券市場の大暴落に始まる世界大恐慌の直中で有り、失業者が街にあふれ不景気の極という状況であったと伝えられています。

このような経済社会状況を立て直そうと浜口内閣は同年一月に、通貨安定を求めて金解禁を行うが、浜口内閣の意図に反して日本経済は円高不況に向い益々経済の不安定化をもたらした。加えて同年一月から四月にかけて軍事支出の削減と各国の海軍力増強阻止・固定化を目的とするロンドン海軍軍縮会議に海軍軍令部の反対を押し切って全権団を派遣し、条約締結をおこなった。

しかし、国内では海軍を始めとして、政敵の政友会・若手海軍将校・右翼などの不満が高まっていた。

このような社会状況下で首相浜口雄幸は狙撃されます。その二年後昭和七年五月十五日には海軍若手将校によるクーデターテロが起き、時の総理大臣大養毅が殺害され、その四年後の昭和十一年二月二十六日には陸軍若手将校と一部の右翼が結託したクーデターが起き、大蔵大臣「高橋是清」内大臣「斎藤実」の二大臣が殺害され時の岡田啓介内閣は事件後総辞職しています。

この両事件後から日本において、戦前の政党政治が完全に葬り去られ、軍部独裁政権となり太平洋戦争へとつき進むのです。

ただ、事の是非は別として両事件当時者の、青年将校たちは時の政党政治が政争に明け暮れ国民を顧みず、既得権益と政治利権に群がる財閥、それとともに疲弊しきった農山村と都市住民の姿を目の当たりにして、日本社会の改革を目指して「私利私欲とは無縁で純粋な若者たち」が決起した事もまた事実である。

上記のような社会情勢下、やがて日本国が軍部独裁主義へと向っていく萌芽期ともいえる時代に、秋の収穫を早々に終わらせた神辺平野の中心で陸軍秋の大演習が行われ、時の天皇「昭和天皇」が正戸山へ行幸し陸軍大演習を天覧されたのです。

次に私が所蔵する関係写真を記載します。バックに写っている古民家は私(坂本)が生まれ育った江戸時代中期に建てられた農家です。
正戸山へと向かわれる昭和天皇

▲私が生まれ育った家の前を正戸山へと向われる昭和天皇

正藤池西側土手より

▲私の生家前の県道新市~御領線(古山陽道)の拡幅前の状態を正藤池西側土手から撮影したものです。